यदृच्छया चोपपन्नं स्वर्गद्वारमपावृतम् ।
yadṛcchayā copapannaṃ svargadvāramapāvṛtam |
सुखिनः क्षत्रियाः पार्थ लभन्ते युद्धमीदृशम् ॥२.३२॥
sukhinaḥ kṣatriyāḥ pārtha labhante yuddhamīdṛśam ||2.32||
プルターの息子よ、開いている天国の門が思いがけなくやって来た
幸運なクシャットリヤ達だけが、この種の戦争を得ます
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天国の門がアルジュナに開かれているとクリシュナは言いました。
「自分の義務を行い死ぬ人は、天国[svarga]へ行く」と、聖典で約束されるカルマ・パラです。
祈らずとも、天国の門が開かれた、この種の戦争は普通の人によっては得られない[yuddham-īdṛśam]、幸運な人だけが得られる[sukhinaḥ kṣatriyāḥ labhante]と、クリシュナは言いました。
ドゥルヨーダナ軍隊のクシャットリヤ達は、強奪者をサポートし混乱していましたから、アルジュナの様に清らかな心で戦う事が出来ませんでした。
ドゥルヨーダナ軍隊の兵士は、戦うことが義務で、それが真実だったのかもしれませんが、内側の混乱は避けられないものでした。
スヴァダルマをしていたのですが、リーダーが強奪者だったので、完全なダルミャではありませんでした。
ビーシュマ、ドローナ、ドゥルヨーダナの全軍隊は、ドゥルヨーダナに恩を着せられ、完全にダルマと調和せず、そこにいたのでした。
一方、アルジュナはダルマと調和していました。
◎ダルマを守るアルジュナの好機
ダルマを守るクシャットリヤにとって、それ以上の好機[yadṛcchayā ]なく、これは明らかにダルマの戦いです。
ダルマの観点からも、悲しむ理由などないのです。
クリシュナの教えの最初の言葉が「アショーチャーン アンヴァショーチャーハ トヴァム」、その悲しみに本当の基盤など無いと言い、絶対的な観点から扱いました。
そして、自分自身の義務[スヴァダルマ]に基づく相対的な観点からも扱いました。
アルジュナにとって、戦いはスヴァダルマと一致していました。
すべき事は戦うことで、幸運な人達だけが、その様な機会を得ます。
誰もが、こんな風にはいきません。