2019/02/02
नेहाभिक्रमनाशोऽस्ति प्रत्यवायो न विद्यते ।
nehābhikramanāśo'sti pratyavāyo na vidyate |
स्वल्पमप्यस्य धर्मस्य त्रायते महतो भयात् ॥२.४०॥
svalpamapyasya dharmasya trāyate mahato bhayāt ||2.40||
カルマヨーガにおいて、努力の浪費など全くありませんし
反対の結果がもたらされることなどありません
ほんの少しのカルマ-ヨーガでさえも
人を大きな恐れから守ります。[2-40]
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あなたは、耕作を試みること[アビックラマ]はできますが
収穫が出来ないこともあります。
水がないかもしれないし、雨が降らないかもしれないし
害虫に食べられてしまうかもしれません。
適切でない時期に、雨が多く降り過ぎる事さえあるかもしれません。
しかし、この詩の中でクリシュナは言います。
カルマ・ヨーガには、どんな破壊もありません。
[アビックラマ・ナーシャハ ナ アスティ]
あなたがする全てのカルマは、純粋な祈りです。
祈り自体が結果です。
なぜなら祈る事が出来るという事は、
アンタッカラナがうまくお世話されているのです。
あなたは、考えを清める[アンタッカラナ・シュッディ]の為に祈り
そして、その祈り自体が結果を生み出します。
その結果は、後に訪れるわけではなく
あなたが祈っているという事実が、祈りの結果なのです。
カルマヨーガとは、単に行いではなく
物事に対する考えの在り方です。
それが1つの試みなら、その過程において障害があり得るし
あるいは、望む結果を妨げる何かが起こり得ます。
例えば、聖典で命じられている儀式[ヴァイディカ・カルマ]をする時
その儀式を正確にしない事からアビックラマ・ナーシャがあるでしょう。
omission(すべき事をしない)
commission(すべき事をする)があるかもしれません。
間違った方法でなされたり
相応しい施しもの[ダクシナー]を分配しないなら
あなたに結果はありません。
ですから、カルマにおいては破壊[ナーシャ]があり得ます。
しかし、カルマヨーガの場合にはこれがありません。
あなたは、結果[カルマパラ]に興味はなく
モークシャを得る事が出来る為の
アンタッカラナ・シュッディのみが目的です。
この詩のプラッテャヴァーヤという言葉は2つの意味を持ちます。
例えば、ある治療を始め、それを中断します。
その治療の効果は、決められた期間為されなければ問題を引き起こします。
異なる行いをする事は、望んだ結果を得ないので
プラッテャヴァーヤを引き起こします。
そして、それを適切な時にしない事もまた欠陥で
プラッテャヴァーヤの2つ目の意味です。
同様に重要な儀式[カルマ]が行われる時
それに付随する様々な儀式があります。
それらが為されなければ全く結果がないか
悪い結果があるでしょう。
カルマヨーガにおいてはこの様な問題は存在しません。
カルマヨーガは物事に対する態度(姿勢)です。
それは心持ちで、この態度でカルマをし続けます。
あなたは、以前カルマをしていたし、今もカルマをします。
態度が変化することで、それをヨーガにします。
例え、ほんの少しだけでも[スヴァルパム アピ]
カルマヨーガの学び、考えの在り方は
サムサーラの大きな恐れからあなたを守ります。
[トラーヤテー マハタハ バヤート]
一旦カルマヨーガの生活をはじめたなら
あなたは異なった旅をはじめています。
山の頂上から水が流れ降りるのではなく
頂上に向かって流れるかのようです。
カルマヨーガを通し、あなたは人生を反転させました。
あなたが、1度でも反転の人生を歩むなら
多くの障害があっても、あなたを止められません。
この人生で、それを成し遂げられなくても
次の人生でそれを続けられるとギーターが保証します。
もし人が、このモークシャ・マールガを追求している間に肉体を離れても
それを完成させるのにそれ程時間はかかりません。
あなたが反転の人生を歩みだしたという
まさにその事実は、旅がほとんど終わろうとしている事を示しています。
あなたは正しい道のりにいるのです。
その反転の人生が、大きな祝福であると
ギーターは、カルマヨーガを讃えます。