यामिमां पुष्पितां वाचं प्रवदन्त्यविपश्चितः ।
yāmimāṃ puṣpitāṃ vācaṃ pravadantyavipaścitaḥ |
वेदवादरताः पार्थ नान्यदस्तीति वादिनः॥२.४२॥
vedavādaratāḥ pārtha nānyadastīti vādinaḥ||2.42||
プルターの息子よ!ヴェーダの言葉に夢中になる人々、見極める能力のない人々は
それ以外には何もないと主張し、これらの華々しい言葉を口にします[2-42]
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ヴェーダの真実を学び、信仰しても、最も重要な教え[atma-jñāna]を見過ごす人が、についてクリシュナは話しています。
ヴェーダは見てはいても はっきりと見ない人々[avipaścit]です。
ヴェーダで述べられている死後の存在や、様々な儀式の効果や可能性、 天国や、よりよい誕生などの結果が成し遂げられることを信じています。
シャーストラを学び、その効果を信じる人々で 無視されるべきではない人々ですが、詩を引用し、それを裏付ける様に話したり、議論を持つので シャンカラは彼らを批判します。
彼らは話し、議論し、人を説得し 、華やかで、よく知られた言葉 [prasiddhā vāk]を使います。
モクレンの木は、花が咲くと葉や枝が何も見えません。
これらの人々は、花一杯で華やかな木の様に魅力的な言葉で話すので、モクレンの木の様です。
また聞いていて心地良いのですが、それらは度の過ぎた誇大宣伝のようです。
ekabuddhiがなく、人生で成し遂げるべきものの識別[viveka]がない人は、ヴェーダーンタではなく、前半のヴェーダを楽しみます [veda-vāda-ratā]。
ヴェーダーンタの勉強も儀式の為だけに使います。
子宝に恵まれる、健康を取り戻すなどの、望みに対する妨げを取り除く儀式が、どの様に為されるべきか、結果と手段[sādhana]が、veda-vākyaで、はっきりと述べられるので、人はそれにふけります。
前半のヴェーダを信じ、カルマを行うのは良いのですが、veda-vāda-ratāは「カルマ以外には何もない」と議論します。
「カルマをし、様々なゴールを成し遂げるのだ!」
「カルマだけが為されなければならない」と言うのです。
ヴェーダーンタでも「この人生を無駄に費やすべきではない!」とは言いますが、次の人生があるのか、無いのか、何に生まれてくるのかは、知るすべがありませんから、今世だけが信頼に値する人生です。
しかし彼らにとって、天国に行くことが最も崇高なゴール[svarga-phala]で、モークシャの意味は天国です。
また、今世で最も偉大な得るべきものは富だと語ります。
言い換えると、この世・あの世での100%の成功がゴールなのです。