कर्मण्येवाधिकारस्ते मा फलेषु कदाचन ।
मा कर्मफलहेतुर्भूर्मा ते सङ्गोऽस्त्वकर्मणि ॥२.४७॥
あなたの選択(権利)は行為にだけで、決して行為の結果にはありません。
行為の結果の起因と考えないように。
アカルマ(結果)にあなたの執着がないように。[2-47]
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全ての宗教が「イーシュワラはニミッタ・カーラナ(知的要因)」だと言います。
しかしヴェーダだけが、「イーシュワラはまたウパーダーナ・カーラナ(物質的要因)」でもあると言います。
「知的要因」と「物質的要因」の両方が、イーシュワラだと理解する時、「ここにあるもの全てはイーシュワラ」だと理解します。
ミッテャーがある所には、どこでもサッテャがあります。
そしてサッテャが、ありとあらゆる物にとっての基盤、ベース[アディシュターナ]です。
パラメーシュワラ自身が、パラム・ブランマンであり、全知[サルヴァッニャ]と全能[サルヴァシャクティマーン]である宇宙創造の知的要因[ニミッタカーラナ]です。
またそれがウパーダーナカーラナ、宇宙創造の物質的要因です。
こうして彼は、結果のメーカーであるだけでなく、まさに法則であり、実際行いの結果そのものなのです。
物理の法則、心理学の法則、この宇宙にあるその他のいかなる秩序も、イーシュワラの法則であるのみでなく、イーシュワラそのものです。
この偉大なる秩序を理解する時、もう不平を言う理由が私達にはありません。
法則の数々からやって来る、行いの結果の数々は、イーシュワラ、神から離れていませんし、それらはイーシュワラからやって来ます。
単なるサマットヴァをカルマヨーガに変えるものは、このイーシュワラの理解です。
イーシュワラを行いの結果を与える者(カルマ・パラダーター)と理解し、自分自身はただ行いをする人(カルマ・カルター)と理解します。
ですから、カルマヨーギーである為に、人はイーシュワラを受け入れなければなりません。
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【マーヤーの2つの側面】
①アーヴァラナ・シャクティ[आवरणशक्ति](リアリティを覆い隠す働き)
②ヴィクシェーパ・シャクティ[विक्षेपशक्ति](名前や形を現す働き)