7/20の勉強会も、引き続き第2章47番目の詩を読み進めていきました。
この詩は、ウパデーシャサーラの1つ目の詩
ラマナマハリシが1番最初に伝えた事と同じ事が言われていますね。
कर्मणि 7/1 एव 0 अधिकारः 1/1 ते 6/1 मा 0 फलेषु 7/3 कदाचन 0 ।
मा 0 कर्मफलहेतुः 1/1 भूः II/1 मा 0 ते 6/1 सङ्गः 1/1 अस्तु III/1 अकर्मणि 7/1 ॥२.४७॥
あなたの選択(権利)は行為にだけです。決して行為の結果にはありません。
行為の結果の起因と考えないように。アカルマ(結果)にあなたの執着がないように。[2-47]
ここで話されている事はヨーガで
ニャーナではありません。
単にこれは経験出来る事、実用的な考え方
アートマーやアナートマー
ブランマンのリアリティなどと関係がありません。
世界がどういったものであるかを見て
物事の機構の中にある、自身の位置づけを見て
シンプルに世界の中にいる自分を
自分自身として見る事です。
この考え方の在り方をアルジュナにもたらす為に
「行いの結果をもたらす原因ではない様にしなさい。
(マーカルマパラヘートゥーフ ブーフ。)
なぜなら、あなたはそうではないですから。」
とクリシュナは言いました。
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私は行いの作者ですが
結果についての作者ではありません。
この事実から、最も適切な事は
偏りのない考えの在り方(サマットヴァ)を持ち
何であれやって来る結果を受けとる事です。
望むものを得ないという事は失敗ではないのです。
それにより私達は賢くなります。
又、結果が期待していたもの以上でも
同じ様に賢くなります。
結果が望み通りでなければ
「なんて運命だ」と嘆くかもしれません。
それでもまたより賢くなります。
いつも得る知恵があり
明らかに学ぶ何かがあります。
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私は行いの作者で、結果の作者ではないと知る事
それがサマットヴァを作り出します。
実用主義者もサマットヴァであり得ますが
それをカルマヨーガにする為に
私達はさらに一歩進みます。
イーシュワラを受け入れない限り
カルマヨーガはありません。
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全ての結果は私達が
ダルマの法則、カルマの法則と呼ぶ
ある法則によって処理されます。
例えば腕を持ち上げる時
当然物理的な法則が働き
その他沢山の法則があります。
腕を持ち上げることは意志をも含み
考えを持ち持ち上げます!
この様に、物理的な体、解剖学上の構造は
物理学上の法則に従いこの大地の上に立ち
物理学上の法則に加え
ある種の生物学上の法則により
この世界に生まれています。
また生理学、心理学上の法則もあります。
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こうして私達は
法則の中に法則がある事を理解します。
シンプルな行いも、過去のカルマの数々が
私が望む結果に割り込み
影響を与えるかもしれませんが
それが起こるのかどうかを
私達は知ることは出来ません。
カルマとその結果を統制する法則は
何であれカルマの法則で
そのカルマの法則はまた
様々な他の法則を含みます。
法則の数々は
私によって発案され作られてはいませんし
それらを作ったのは
もちろん私のお父さんではありません。
その前のお爺さんも皆
それらの法則から生まれています。
皆、法則の為に存在し
同じ法則の為にこの惑星を去りました。
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人々に存在をもたらした法則達が
また彼らを引き受け
幸せの為にずっとお世話します。
これらの法則がいつも働き
「特定の人」が作者であるとは考えられない事を知ります。
ですから作者を知る事はもう一歩先に進む事です。
数々の法則の作者が、行いの結果を作り出し
法則そのものが、それを作り出しているのではない事に気付くのです。
もう一歩先に進みイーシュワラ(神)を作者として理解するなら
私達はカルマヨーガを始める基礎を持ちます。
これが始めの基礎です。
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宇宙の万物は、私によっては創造されていません。
ですから誰であれ
それを創造した者がイーシュワラで
この同じイーシュワラが
行いの結果を与える者です。
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毎月現金書留でお金を受けとるとします。
郵便配達の人が、実際にはお金を届け与える人です。
しかし、感謝されなければならない
郵便配達の人以外の誰かがいます。
同じ様に結果は、法則によって作られ
法則自身が他の知的存在によって作られます。
その知的存在ブランマンが
創造宇宙、森羅万象に関し
イーシュワラと呼ばれています。
イーシュワラ・神が、まさに大君主で
事実上のトップ
時間や空間や何にも限られていないボスなのです。
次回も引き続き47番目の詩を読みすすめます。
日程:8月17日(土)11:20~12:50
最後までありがとうございました。
千葉市中央区ヨガ教室「ギーターヨーガ」ヤムナー