2019-12-07

2019/12/07【ギーター】第2章49番目の詩

योगस्थः 1/1 कुरु II/1 कर्माणि 2/3 सङ्गम् 2/1 त्यक्त्वा 0 धनञ्जय 8/1 ।

सिद्ध्यसिद्ध्योः 7/2 समः 1/1 भूत्वा 0 समत्वम् 1/1 योगः 1/1 उच्यते III/1 ॥२.४८॥

ダナンジャヤよ。執着を手放して

成功にも失敗にも同じに留まり

ヨーガにしっかり留まり行いをしなさい。

考えに偏見のない事からの平静な生き方が

ヨーガと呼ばれます[2-48]

イーシュワラに捧げるものは、いつも花である必要はありません。

バガヴァーンは言います。

あなたによって成されねばならない事をする事で、あなたはイーシュワラを祈っています。

私達1人1人が、それぞれ成すべき仕事を持ち、それを行った時イーシュワラと調和しています。

為すべき事をした時、満足があります。

例えそれが私の望まない何かでも、それをするなら偉大さを感じます。

何故ならイーシュワラとハーモニーの中にいるからです。

これを理解し、ヨーギーとなります。

ダルマの法則に従い、成さねばならない事をし、世界とハーモニーである事がカルマヨーガです。(=ヨーガハ カルマス カウシャラム)

ですから、私達はダルマとしてのイーシュワラを理解し行いを選択します。

そうする事で、行いはイーシュワラへのアルチャナ(貢献)の形になります。

この様な考え方が、きれいな考え、考えの聡明さ、つまりアンタッカラナ・シュッディと言う結果を実らせ

そして、自分とは何かの知識(ニャーナ)という全てのステップが完成されます。

これらのステップが、ギーターを通して述べられ、シャンカラもまたバーシャの中で繰り返し述べています。

カルマ・ヨーガを通して、考えはきれいになり

考えがきれいであれば、知識は起こり、モークシャが得られます。

ですからカルマ・ヨーガは、モークシャの為にだけにあります。

दूरेण 3/1 हि 0 अवरम् 1/1 कर्म 1/1 बुद्धियोगात् 5/1 धनञ्जय 8/1 ।

बुद्धौ 7/1 शरणम् 2/1 अन्विच्छ II/1 कृपणाः 1/3 फलहेतवः 1/3 ॥२.४९॥

行いはカルマヨーガよりも、はるかに劣っています。

ダナンジャヤよ、ブッディ・ヨーガに救いを求めなさい。

ただ、結果の為に行いをする人は、みみっちい人です。[2-49]

好き・嫌い(ラーガ・ドヴェーシャ)の魔力の下に成されている行いは、

適切な考えのあり方と、献身的な態度を持つカルマ・ヨーガとは全く異なります。

その様な行いの結果は、サマットヴァ・ブッディ(偏見のない考え)ではなく、その人の好き・嫌いを持ったままで受け取られます。

この種のカルマ(行い)はブッディ・ヨーガ、つまりカルマ・ヨーガよりはるかに劣っています(アヴァラム)。

ですからクリシュナはアルジュナに、カルマ・ヨーガ・ブッディの中に救いを求めなさいと言いました。

アンタッカラナシュッディとモークシャの為ではなく、

結果だけを目的とした行いをする人々はみみっちい人達(クルパナ)です。

彼らはただ楽しみ(ボーガ)と、権力(アイシュワルヤ)を求めるのです。

彼らは知性(ブッディ)を役立てようとしませんから、そこにはカルマ・ヨーガはなく、彼らを惨めなみみっちい人にします。

みみっちい人とは、お金を持ってはいるけども、彼ら自身の為や他の人の為に、それを使う勇気がない人達です。

みみっちい人は、お金を使う事が出来ません。

「お金が無くなってしまう、無くなってしまう、無くなってしまう」と恐れるからです。

ですから彼らはいつも引退の時期に備え、蓄えて、蓄えて、蓄え続けます。

みみっちい人(クルパナ)は優先順位がハッキリせず、使う勇気がありません。

何の為のお金かについての聡明さが少しもないのです。

このみみっちい人(クルパナ)と言う言葉の意味は、その人の知性(ブッディ)を役立てないという意味に広げられました。

シャンカラはブルハダーランニャコーパニシャドを引用する事でクルパナの言葉の意味を論じます。

यो वा एतदक्षरं गार्ग्यविदित्वास्माल्लोकात्प्रैति स कृपणः

カールギーよ!この「不変のもの」を知る事なしにこの世を去る人はクルパナです。

知性(ブッディ)は人間として与えられた見極める力であり、人間が持つ事の出来る最も尊い資産であり宝物です。

ですから、その第1の使い方が、自分自身の知識を得る為であるべきです。

誰もが知性(ブッディ)を使う良いチャンスがあるにも関わらず

みみっちい人(クルパナ)はそれを蓄え、あるいは無駄に費やし、その人が授かった最も偉大な富を正しく使わないでいます。

お金に関するみみっちい人(クルパナ)が残した財産は、他の人によって楽しまれる事が出来ますが

この知性(ブッディ)に関するみみっちい人(クルパナ)が死んでしまっても、その知性(ブッディ)は誰も楽しめません。

みみっちい人(クルパナ)はモークシャではなく、小さな結果だけを目的にしている人達で、ただただ欲深さがあります

ですから彼らにはカルマヨーガもなければ、サンニャーサもありません。

ヴェーダの宇宙観に従って、2つのライフスタイルがある事を見てきました。

カルマ・ヨーギー、あるいはサンニャーシーのどちらかです。

みみっちい人(クルパナ)は、カルマ・ヨーギーにならなければなりません。

ですからクリシュナは「カルマ・ヨーガを選びなさい」とアルジュナに言いました。

次回の勉強会は12月21日(土)11:20~12:50です。

次回は第50番目の詩に入ります。

最後までありがとうございました。

千葉市中央区ヨガ教室「ギーターヨーガ」ヤムナー

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