◎カルマ・ヨーガの起源
第4章1~3番目の詩で、カルマ・ヨーガの話題を要約します。
神としてクリシュナは、宇宙創造のはじまりに、カルマ・ヨーガを授け、それ以来、カルマ・ヨーガは、廃れつつも世代から世代へと伝えられてきました。
サンニャーシーは、成熟した熟考する性質を必要としますが、熟考し、成熟しながら人生を生きることができます。
それが、カルマ・ヨーガです。
自由[モークシャ]、すなわち自己の知識を得るために、行いから自由で、全創造宇宙のまさに核心、全ての物のリアリティーである自分自身の本質を認識する必要があります。
そして、この認識が定着するために、サンニャーサの人生か、カルマ・ヨーガの人生を生きることができます。
カルマ・ヨーガは、適切な考え方で、活動の中に自分自身を没頭させ[プラヴルッティ・ラクシャナ・ヨーガ]、
ニャーナ・ヨーガは、全ての活動からの撤退し、この知識のみを探求します[ニヴルッティ・ラクシャナ・ヨーガ]。
この2つの側面のヨーガが、ギーターを通して明かされます。
クリシュナは今、何かとても古いものであるこのヨーガを称えます。
◎先生から生徒へ[サンプラダーヤ]
この知識は、先生から生徒へ、その生徒が次の生徒に手渡します。
リアリティーを理解するため、誰が誰に話したのかは問題ではありませんが、あるがままの全体を知る人が、上手く舵をとる必要があります。
ある世代から次の世代へ次々に下ってゆく流れ[サムプラダーヤ]が重要ですから、書物のはじめか終わりに、サムプラダーヤがいつも紹介されます。
クリシュナはサムプラダーヤを紹介して、知識を称えます。
श्रीभगवान् उवाच ।
इमं विवस्वते योगं प्रोक्तवान् अहमव्ययम् ।
विवस्वान् मनवे प्राह मनुरिक्ष्वाकवेऽब्रवीत् ॥४.१॥
śrībhagavān uvāca |
imaṃ vivasvate yogaṃ proktavān ahamavyayam |
vivasvān manave prāha manurikṣvākave'bravīt ||4.1||
シュリー バガヴァーンが言いました
この滅びる事のないヨーガを、私はヴィヴァスヴァーンに教えました
ヴィヴァスヴァーンはマヌに教え、マヌはイクシュヴァークに教えました
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宇宙創造に伴い、太陽の家系[スーリヤ・ヴァムシャ]の頭ヴィヴァスヴァーンに、クリシュナがヴェーダの中でこの知識を紹介したと言いました。
マハーバーラタは、月の家系[チャンドラ・ヴァムシャ]の叙事詩で、ラーマーヤナは、太陽の家系[スーリヤ・ヴァムシャ]の叙事詩です。
ヴィヴァスヴァーンとは、太陽神、神である太陽に与えられた名前です。
クリシュナは、ここで、自分自身を神[イーシュワラ]と述べて、この知識はイーシュワラから伝わる知識だと言いました。
これは、人の知性から創造されたものでも、単なる空論でもありません。
この知識は、宇宙創造とともにイーシュワラから伝わってきた知識です。
「私が全体」という知識と、他の明かされた知識体の違いが理解されなければなりません。
例えヴェーダであれ、信じる話題で、それは約束という結果が与えられます。
しかし「私が全体」という知識は、約束ではありません。
「水はH2Oで、それは大気圧では100度で沸騰する」は、事実であるのと同じように、「あなたはあれです[タット トヴァム アシ]」は、約束ではなく、事実です。
「あなたはブランマン」は、事実であり、既に成し遂げられている、直の知識として既に知られています。
そのことが、理解されなければなりません。
事実とは、証明できる知識で、ヴェーダを含む、啓示された他の知識体の様な、信じなければならない事ではありません。
しかしながら、これらの他の啓示も、同じリアリティー、すなわちイーシュワラについて語っているのです。
1+1=2という知識が、インドだけの知識ではないように、この知識は誰か特定の人や文化に属しているのではなく、それはイーシュワラの知識です。
サンニャーサとカルマ・ヨーガは、クリシュナ、すなわちイーシュワラによって太陽の家系の頭のヴィヴァスヴァーンを通して、最初に伝授されました。
この特別な知識は、イーシュワラの知識ということを伝えるために、太陽神がここに紹介されます。
太陽神の恩恵によって、彼の息子であり、人類に法を与えた最初の王[マヌ]に伝えられ、マヌは、息子のイクシュヴァークに教えました。
◎自分自身の知識は去らない
この滅びない知識、すなわちこのヨーガは、自由解放[モークシャ]を与えますからアッヴャヤ・ヨーガです。
モークシャは、永遠であるアートマーですから、唯一去らないもので、アートマーの知識です。
このヨーガの結果、すなわちモークシャは、自分自身の、はっきりとしたヴィジョンに留まること[サムミャグ・ダルシャナ・ニシュター]と、シャンカラは言います。
死[ヴャヤ]など、決してありません。
このモークシャは、限られた個人であるという観念[ジーヴァットヴァ]が破壊されますから、ニルヴィカルパ・サマーディの体験のように、そこから戻って来るものではありません。
一度でも得られたなら戻ることがない、この知識がアッヴャヤと呼ばれる理由です。