अर्जुन उवाच ।
योऽयं योगस्त्वया प्रोक्तः साम्येन मधुसूधन ।
एतस्याहं न पश्यामि चञ्चलत्वात् स्थितिं स्थिराम् ॥६.३३॥
arjuna uvāca |
yo'yaṃ yogastvayā proktaḥ sāmyena madhusūdhana |
etasyāhaṃ na paśyāmi cañcalatvāt sthitiṃ sthirām ||6.33||
アルジュナは言いました
クリシュナよ、変わらぬ等しさの本質であるとあなたに述べられたこのヨーガですが
動揺のために、そのしっかりとした世界観を、私は理解できません
-
アルジュナは、変わらなく等しい物事の見方は、簡単ではない、自分の考えは動揺している[cañcala]と伝えます。
実際、後に「動揺するのが考えだ」と言います。
動揺のため、変わらなく等しい宇宙観は見えないと、人間の共通の問題、疑いをアルジュナが述べました。
考えがまとまり、しっかりと定まるなら、自分自身の知識は、適切な探求で容易く得れると思ったので、アルジュナの質問は、考えをしっかり定めるための方法[upāya]についてでした。
また、アルジュナは、考えに問題があると言います。
現代心理学は、考えの成熟に役に立ちますし、ギーターは、ラーガ・ドヴェーシャという言葉を使い、考えを扱いますが、多くの人は、考えは道理にかなった働き方をしていないように思うのかもしれませんが、考えには、そのルーツがあるのです。
ですから、知識を得るに十分な考えを定めるための方法[upāya]があるのか?と、アルジュナは聞いています。
◎その宇宙観を得れる考えは、どうやって手に入れるか?
全てに変わぬ等しさを見ること、それを得るのは難しいと、シャンカラは仄めかします。
[एतस्य 6/1 यथोक्तस्य 6/1 सम्यग्दर्शन-लक्षणस्य 6/1 योगस्य 6/1 दुःख-संपाद्यताम् 2/1 आलक्ष्य 0]
ありとあらゆる真実は、変わらず等しい宇宙観、ブランマンでありアートマーです。
この宇宙観は、考えで得ます。
知識が得られる特別な考えは、どうやったら手に入るのか、アルジュナは知りたかったのです。
アルジュナは、クリシュナをmadhusūdhanaと呼びます。
madhuは、クリシュナが殺した悪者だったり、蜂蜜の意味でもありますが、間違ったエゴの意味もあります。
あるがままの宇宙観を見せることで、madhuを秩序の中に置く人[sūdhana]と呼びました。
考えは常に動揺していることから[cañcalatvāt]、時々、その宇宙観を得たとて、長く留まれないことをアルジュナは知っていました。
考えにはルーツがあり、その多くは、子供時代に起因します。
その後、知識を得ても、完全でないなら、その人独自の哲学が出来上がります。
自分が正しいと思っていることと、完全な真実、その2つ間には分裂があるのです。
当然ながら、アルジュナは、これについて、どうすべきなのか知りたいと思います。