千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第2章27番目の詩

2018/07/28

जातस्य हि ध्रुवो मृत्युर्ध्रुवं जन्म मृतस्य च ।

jātasya hi dhruvo mṛtyurdhruvaṃ janma mṛtasya ca |

तस्मादपरिहार्येऽर्थे न त्वं शोचितुमर्हसि ॥२.२७॥

tasmādaparihārye:'rthe na tvaṃ śocitumarhasi ||2.27||

生まれるものの死は確実で

死んでいるものの誕生は確実です

ですから、変えられないものに

あなたは悲しむ理由がありません[27]

-

生まれるものは、死に関する選択肢はありません。

クリシュナ、ラーマ、他の全てのアヴァターラ達も

生まれた、という理由で皆死にます。

ビーシュマが永遠である事を

アルジュナは望んでいるのではありませんでした。

ただ、もうあと数年ビーシュマに生きて欲しかったのです。

「なぜ、ビーシュマにあと数年生きて欲しいのですか?

例えビーシュマがもう少し長く生きたとして

あなたも生き延びるという保障はないですよ」

そうクリシュナは言ったかもしれません。

パリークシット王のお話

パリークシット王は、1週間で死ぬという呪いをかけられ

ヴャーサの息子シュカの所に行き

あと1週間しか生きられないことを言うと

シュカはただ笑いました。

「あなたは1週間で死ぬと言っていますが

これは7日間生きられると言う事です。

私にはそんな保障はありません。」

-

誰もが常に死ぬ可能性があります。

死が訪れる時は、誰もが予測できませんし

何万年も生き続ける岩の年に比べるなら

誰もそんな長くは生きられません。

私達が85歳になる頃には、ほとんどの細胞は死んで

残りの細胞も古く疲れ果てています。

新しいことを記憶することは出来ず

時間の絶え間ない流れにおいて

少し早いとか、少し遅いということは何も意味しません。

人は伝記を持つと主張しますが

この絶え間ない流れの中で、100年は何でもありません。

私達はどんな物語を持っていますか?

短い時間の中で、再びバラバラになる幾つかのものが

一緒になっただけに過ぎないのがこの体です。

私達が今夜見ている星は、200光年離れているかもしれません。

私達が見ている光は200年前にその星を離れました。

その光が、私達の目に映る時には

今見ている星は既に死んでしまっているかもしれません。

光ほど早く動くものはありませんが

時間に関するコンセプトの全ては

光の速さに関係しています。

それは一定で、それを持ってして

私達は動きや、他の全てのものを計ります。

100年という絶え間ない流れの中では

一瞬の閃光(せんこう)に過ぎません。

私達はチラッと光る閃光のように現れ

すすり泣くように去っていきます。

泣いたり、笑ったり、結婚したり、離婚したり、隠退したり・・・。

全てがこの一瞬の輝きです。

この人生は瞬間の輝き、1つの閃光に他なりません。

そして、それは消え去ります。

生まれた人が死ぬのなら、死んだ人は必ず生まれます。

反対にもし死んだ人が生まれるのなら

生まれる人は必ず死ぬでしょう。

この変える事が出来ない事実を

あなたは変える事は出来ませんが

アートマーは、いつもそこに在り

あなたからどんな悲しみも引き出しません。

アートマーの為に悲しむ必要はなく

またアナートマーの為に悲しむ必要もありません。

「私が変えられない事を受け入れられます様に」

変えられない事は、どんな悲しみにも値しません。

クリシュナが次の詩で更に詳しく要点を述べます。