जातस्य हि ध्रुवो मृत्युर्ध्रुवं जन्म मृतस्य च ।
jātasya hi dhruvo mṛtyurdhruvaṃ janma mṛtasya ca |
तस्मादपरिहार्येऽर्थे न त्वं शोचितुमर्हसि ॥२.२७॥
tasmādaparihārye:'rthe na tvaṃ śocitumarhasi ||2.27||
生まれるものの死は確実で、死んでいるものの誕生は確実です
ですから、変えられないものに、あなたは悲しむ理由がありません[27]
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◯ヴィシュヌ神のアヴァターラ、ラーマとクリシュナ
ラーマは、ラーマーヤナに登場する主人公でシーターという妻がいますが、ラクシャの王であるラーヴァナにさらわれてしまいます。
ラーマに忠誠を誓ったハヌマーンの活躍もあり、ラーヴァナを倒しシーターを奪い返すのが、メインの物語です。
その後、長くラーヴァナに奪われていたシーターの貞潔について民衆の中で悪い噂が広まり、シーターは身の潔白を証明するために自ら聖火の中に身を投げます。
火の神[アグニ]が、シーターの身の潔白を証明しますが、そのまま大地の女神に連れていかれ、ラーマーは愛する妻を失いまいました。
ヴィシュヌ神の化身としてのラーマは、ダルマの模範としての生き方を示しています。
一方クリシュナは、16,000人の妻を持ったと伝える神話(諸説では8人の正妻がいたと言われている)から、アーナンダの象徴として描写されています。
◯リシ[ऋषिः]
リシとは「マントラを発見した人」
この世界に常に存在していた様々な法則が、研究に専心してきた科学者に発見されるように、宇宙創造と共に常にある知識は、マントラという形で、タパスによって鍛えられた考えを持つリシ達によって発見されます。
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アヴァターラもリシ達も、生まれるものは、死に関する選択肢はなく、「生まれた」という理由で死ぬのです。
アルジュナは、ビーシュマが永遠であって欲しいと望んでいたのではなく、ただ、もう少し長生きして欲しかったのです。
「例えビーシュマがもう少し長く生きたとて、あなたも生き延びるという保障はないですよ」と、クリシュナは言ったかもしれません。
アルジュナの孫、パリークシット王は、1週間で死ぬという呪いをかけられ、ヴャーサの息子、シュカの所に行き、そのことを話すと、シュカはただ笑いました。
「あなたは、7日間生きられるのですよ。私にはそんな保障はありません。」
◎一生という時間の儚さ
誰もが死ぬし、誰もが、死を予測できません。
何万年も生き続ける岩に比べるなら、誰もそんな長くは生きられません。
時間の絶え間ない流れにおいて、少し早いとか、少し遅いということだけです。
私達が85歳になる頃には、ほとんどの細胞は死に、記憶力も落ち、残りの細胞も古く疲れ果てています。
短い時間の中で、再びバラバラになる幾つかのものが、一緒になっただけに過ぎないのがこの体です。
今夜見ている星は、200光年離れているかもしれません。
そして、目に映る時には、今見ている星は既に死んでしまっているかもしれません。
100年という絶え間ない流れは、一瞬の閃光(せんこう)に過ぎません。
私達は、チラッと光る閃光のように現れ、すすり泣くように去っていくのです。
◎人生は一瞬の閃光のよう
泣いたり、笑ったり、結婚、離婚、隠退・・・。
全てがこの一瞬の輝きです。
この人生は瞬間の輝き、1つの閃光に他ならず、それは消え去ります。
生まれた人は死に、死んだ人は必ず生まれ、反対に、死んだ人は生まれ、生まれる人は必ず死ぬのです。
この変えられない事実を、変える事は出来ませんが、アートマーは、いつもそこに在り、どんな悲しみも引き出しませんし、またアナートマーの為に悲しむ必要もないのです。
「私が変えられない事を受け入れられます様に」
変えられない事は、どんな悲しみにも値しません。
クリシュナが次の詩で更に詳しく要点を述べます。