自分自身の中に自分自身でいて満足している人[आत्मनि एव आत्मना तुष्टः](2-55)
これが人間の究極のゴール、自由解放[モークシャ]です。
束縛する欲望を手放すことは、全ての行いをも手放します。
行いは、目的を達成しようという欲望があるからこそ為されます。
アルジュナは、Bestである自由[シュレーヤス]を求め、それには知識のみが必要で、カルマは役には立たないと理解しました。
しかしクリシュナは、カルマ・ヨーガに根ざした行いをする様、アルジュナに求めました。
アルジュナは迷いました。
「カルマ・ヨーガでさえ、モークシャに不十分なのに、行いをすることで、モークシャをどの様に得ると言うのでしょう?」
クリシュナは、知識がモークシャを与えると言いました。
しかし、クリシュナは「立ちあがって戦いなさい!」と言いました。
これはどういうことでしょうか?
アルジュナは、クリシュナの意図するものが、本当は何かを知りたいと思いました。
1.ニッテャ・カルマ
日常的に為されるべき儀式
2.ナイミッティカ・カルマ
四季折々、特別に為される儀式
3.カーンミャ・カルマ
望む結果を得る目的で為される儀式
4.プラーヤシュチッタ・カルマ
間違った行為を中和する為の儀式
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これらのカルマが、自分を救い出すものではないとアルジュナは知っていました。
モークシャは、純粋に知識、その結論に至ったからこそサンニャーシーになりたいと思い、他の全ての行いを諦め、知識の追求に人生を捧げようと思ったのです。
1.ブランマチャーリヤ
両親や先生の近くに住んで仕えながら24年学びに打ち込む
2.グラハスタ
家庭を持ち、社会への貢献に打ち込む
3.ヴァーナプラスタ
日常の忙しさから離れて暮らすサンニャーサの準備期間
4.サンニャーサ
社会、家庭の義務を手放しヴェーダーンタの学びと熟考に専念する
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アルジュナが見てきたサンニャーシーは、知識を求めるために全てを手放していました。
だから、モークシャを求めるなら同じ様にすべきだと、彼は思ったのです。
人生で、どのようなものを追い求める時も、専念する生き方は必要です。
アルジュナは、知識を追求する為、サンニャーサが唯一の目的地に見えて、それが正しいと考えました。
しかし、クリシュナは「戦うことを決心し、立ち上がって戦いなさい![तस्मात् उत्तिष्ठ कौन्तेय युद्धाय कृतनिश्चयः](2-37)」とアルジュナに言いました。