
アルジュナが抱いている混乱の核心は「知識と行いの二択」という、探求者が陥りやすい最大の落とし穴にあります。
アルジュナにとって、クリシュナの教えは支離滅裂に聞こえていました。
クリシュナは、賢者[スティタ・プラッニャ]とは欲望を捨て、自己の中で満足する人だと言いました。欲望がなければカルマの動機も消えるため、モークシャには知識だけが必要だとアルジュナは理解しました。
ヴェーダの儀式や世俗の行いは、何らかの結果を求めるものであり、それらは人をサムサーラに縛り付けます。
それなのに、クリシュナは「戦え(行え)」と命じます。これはアルジュナにとって、糖尿病患者に甘いお菓子を勧める医者のように、目的(モークシャ)と手段(戦争)が完全に逆行しているように見えたのです。
アルジュナは、成功(お金や権力)を求めるなら他のすべてを投資すべきであるように、知識を求めるならカルマを捨ててサンニャーサに専念すべきだと考えていました。
◎知識だけがモークシャに相応しい
アルジュナが導き出した結論は、モークシャは作り出すものではなく、アートマーを知ることですから、それはカルマの積み重ねではなく、無知を取り除く知識によってのみ認識されます。
知識を得た後は、欲望が消えるため行いをする理由がないし、知識を得る前であっても、もし知識が唯一の手段なら、行いはむしろ遠回りになります。
スティタ・プラッニャの描写において、クリシュナは、知識を受け取るための準備と知識を強調しましたが、「カルマが人を賢者にする」とは一言も言いませんでした。
アルジュナにとって、モークシャは知識と行いを混ぜ合わせたミックスケーキのようなものではなく、純粋に知識のみであるべきでした。
ですから、クリシュナが「戦え」と命じることに、強い疑い[saṃśaya]を抱いたのです。
