千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章03番目の詩②

2020/12/07

श्रीभगवान् उवाच ।

śrībhagavān 1/1 uvāca III/1 |

लोकेऽस्मिन् द्विविधा निष्ठा पुरा प्रोक्ता मयाऽनघ ।

loke7/1asmin 7/1 dvividhā1/1 niṣṭhā1/1 purā0 proktā1/1 mayā3/1anagha8/1|

ज्ञानयोगेन साङ्ख्यानां कर्मयोगेन योगिनाम् ॥३.३॥

jñānayogena3/1sāṅkhyānāṃ6/3karmayogena3/1yoginām6/3 ||3.3||

シュリー バガヴァーンが言いました。

罪のない者よ。この世の2つ専心するライフスタイルは、最初に私によって語られましたが

サンニャーシーの為のニャーナヨーガと、ヨーギーの為のカルマ・ヨーガです[3-3]

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シャンカラは、幼いころからサードゥになりたかったのですが、母親は全く同意しませんでした。

そんなシャンカラに、足にかぶりついたワニが一役買いました。

シャンカラが川で沐浴をしていた時「ワニに足をかまれている!死んでしまう!」と母に大声で叫んで伝えます。

母は、ショックで泣き叫びますが「サンニャーサの誓いを許して下さい!」と、母親に言いました。

生命の危機ですから、アーパト・サンニャーサでした。

(※アーパトとは危険という意味)

母親の許可を得て、シャンカラが誓いを立てると、何と!そのワニは彼を逃がしてくれました。

川から出てきて、母親は「おいで、家に帰りましょう」言いました。

「何だって? 僕はもうサンニャーシーですよ。」とシャンカラは答えました。

「誓いはワニのためだけのものです」と、母親は言いましたが、「とんでもない。誓いをたてたのだから、僕は行くよ。」と言って、シャンカラはサンニャーシーになりました。

インドの中央部のナルマダー川のふもとに住むゴーヴィンダ・バガヴァト・パーダの弟子になりました。

アーパト・サンニャーサを取得したものの、生き残ったシャンカラですが、この誓いをゴーヴィンダパーダが認めました。

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サンニャーシーは生まれ変わらない、もしくはより良い生まれ変わりが得られる、と信じられています。

サードゥとして人生を始められる様な家庭に生まれるかもしれないのです。

サンニャーシーになった人は、前の人生でアーパト・サンニャーシーであったかもしれません。

アルジュナは、アーパト・サンニャーサではなく、ヴィヴィディシャー・サンニャーサを望んでいました。

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サンニャーサでは、全ての義務的な火の儀式や、全てのカルマを手放す為の特別な儀式があり、それはサンニャーシーが行う最後の火の儀式です。

この儀式でサンニャーシーは、全ての先祖、家族、リシたち、デーヴァに別れを告げ自己の知識が、全てを自由にすると述べ、先祖たちに祝福を求めます。

あらゆる生き物を傷つけない、というアバヤの誓いと、俗世で、他者と競争しない、という誓いを立てます。

誓いを立て、モークシャを象徴する方角の北に数歩を歩みます。

死神[ヤマ]が南に住むので、南は死を意味し好まれません。

死から自由であるモークシャを求め北に歩き出すと、サンニャーシーはグルに引き戻され、簡素な衣服一式を与えられグルのもとで仕えて、学びを続けるように求められます。

目的は、知識によって全てのカルマを手放すことですから、ヴィドヴァト・サンニャーサは、正式にサンニャーサを取得していないかもしれません。

知識は「私は行い手ではない」「私は行いをしていない」です。

これを、行いがない状態[ナイシュカルミャ]と呼びます。

アートマーは、どんな行いもしないので、どんな時も行いはしていない、ということです。

また、 アートマーが誰かに行いをさせることもありません。

あらゆる行いはしますが、私は行い手ではないのです。

この知識がニャーナ・カルマ・サンニャーサとしての本当の意味で、サンニャーサなのです。

このニャーナ・カルマ・サンニャーサの為、人は自己の知識を求めサンニャーサの生き方を選びます。

もう1つのニシュターであるカルマ・ヨーガは、他のアーシュラマにいる全ての追求者のためのものです。