千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章04番目の詩③

2021/01/11

न कर्मणामनारम्भान्नैष्कर्म्यं पुरुषोऽश्नुते ।

na0 karmaṇām6/3 anārambhāt5/1 naiṣkarmyam2/1 puruṣaḥ 1/1aśnute III/1 |

न च सन्न्यसनादेव सिद्धिं समधिगच्छति ॥३.४॥

na0 ca0 sannyasanāt 5/1 eva 0 siddhiṃ2/1 samadhigacchati III/1 ||3.4||

行いをしないことで行いのないこと[ナイシュカルミャ]を得るのではありません。

単に、サンニャーサから成功(自由)を達成するのでもありません[4]

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行いをしないことでナイシュカルミャ、つまりサルヴァ・カルマ・サンニャーサは得られないと、この詩でクリシュナは言いました。

全ての行いを手放すということは、ただ知識の形の中にあります。

行い手という観念を手放さない限り、全ての行いを手放すことはありません。

”行い手という観念を手放させばいい”

そうすると決めただけで、できると思うなら、それを決める、という行いをする行い手がいます。

これも、行い手という観念を手放せていません。

しかし「自分は行い手ではなく、ブラフマンである」という知識を得た後は、行い手であるという観念はなくなります。

この知識だけが、行い手であるという観念を取り除きます。

自分を明け渡すことが、神に至るもう1つの方法、と考えるのも違います。

明け渡すという行いをする、行い手であるという観念を手放さなければならないことが残っています。