2021-01-19

【ギーター】第3章4番目の詩④

2021/01/18

न कर्मणामनारम्भान्नैष्कर्म्यं पुरुषोऽश्नुते ।

na karmaṇām anārambhāt naiṣkarmyam puruṣaḥ aśnute|

न च सन्न्यसनादेव सिद्धिं समधिगच्छति ॥३.४॥

na ca sannyasanāt eva siddhiṃ samadhigacchati ||3.4||

行いをしないことで

行いのないこと[ナイシュカルミャ]を

得るのではありません。

単に、サンニャーサから成功(自由)を

達成するのでもありません[3−4]

行い手であるという観念を手放すことが、マハーバーラタ、シャーンティ・パルヴァの詩にも書かれています。

त्यज धर्ममधर्मं च उभे सत्यानृते त्यज ।

tyaja dharm amadharmaṃ ca ubhe satya-anṛte tyaja ।

उभे सत्यानृते त्यक्त्वा येन त्यजसि तत्त्यज ॥१२-३२९-४०

ubhe satyānṛte tyaktvā yena tyajasi tat tyaja ॥12-329-40

ダルマとアダルマを手放しなさい

正しいと間違いという両方の観念を手放しなさい

正しいや間違いという観念両方を手放して

それによってあなたが手放すという

それを手放しなさい[12-329-40]

まず最初に、ラーガ・ドヴェーシャを中和します。

ダルマを選択し、アダルマで失う大きさを知る、これが最初のステップです。

間違った行いをするのは、イーシュワラの無知と認識します。

ただただ、行いの結果としてイーシュワラが実り、イーシュワラが結果を実らせています。

カルマヨーギーとして、行いをイーシュワラに捧げ、カウシャラの考え方で、行いが手放され、又行いの結果という観念が手放されます。

カルマヨーギーの整理された考え方、見え方にヴェーダーンタの理解が深まります。

わたしは目撃者であり[サークシー・ヴルッティ]、わたしは全体、限りの無いもの[アカンダ・アーカーラ・ヴルッティ]。

そのわたしから全てが現れます。

行いや、その結果から自由な自分を識別し始め知識が完成します。

知識には行いはなく、意志を放れます。

行ない手であるという観念を手放すことは、単に「手放そう」と考え、手放すのではなく、理解することです。

また、観念を手放すことは「考えを止めること」などと、考えることも間違いで、これも行いです。

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