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ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章08番目の詩②

2021/03/22

नियतं कुरु कर्म त्वं कर्म ज्यायो ह्यकर्मणः ।

शरीरयात्रापि च ते न प्रसिद्ध्येदकर्मणः ॥३.८॥

niyataṃ kuru karma tvaṃ karma jyāyaḥ hi akarmaṇaḥ |

śarīra-yātrā api ca te na prasiddhyet akarmaṇaḥ ||3.8||

なすべきことをしなさい。行いは何もしないより優れています。

何もしなければ、自分の体を維持することさえ、出来ないでしょう。[8]

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全くカルマをしないなら、プンニャやパーパ、サムサーラの問題はなく、この生死のサイクルは自由[モークシャ]で終わり、何もせずともモークシャが達成できるのだから、勉強する必要など無いと言う人がいます。

シャンカラはこの人に対し、更に質問をし、形を変え答えています。

「サンチタ・カルマはどうなりますか?

この人生でカルマは何もしないとしても、誰があなたのサンチタカルマを満たすのでしょうか?

次に、これ以上カルマをしないと決めた時までにしてきた未解消のカルマはどうしますか?

それも、満たされなければなりませんし、実際、一瞬でもカルマをせずにはいられません。

”私は行い手である”という観念があるなら、カルマをせざるを得ません。

そして、あなたが正しいカルマをに従わなければ、誤ったカルマをしてしまうのです。

カルマをしないことで、モークシャを得るということは、あり得ません。

カルマは、確かにジーヴァを束縛し、人を直接的に自由にするとは言われません。

「私は行い手である」という無知から、欲望[カーマ]を避けることは出来ず、ちっぽけで、限りがあり、いつかは死ぬ存在と思っているのであれば、素晴らしくなりたい、満たされたい、死にたくない、と望むでしょう。

限りのある知識、無知から自由になりたい、と思うことは欲望です。

不幸や不十分さや不足から自由になり、幸せになりたいという欲望もあります。

既に満たされているということを知らないが故に、こうした欲望が沸いてきます。

無知がある時、欲望があり、それらの欲望を満たす為にカルマをし、プンニャとパーパを生み新たな生をもたらします。

無知―欲望―行動

このサイクルでカルマに縛られたままになっているのです。