2021/04/12
यज्ञार्थात्कर्मणोऽन्यत्र लोकोऽयं कर्मबन्धनः ।
तदर्थं कर्म कौन्तेय मुक्तसङ्गः समाचर ॥३.९॥
yajñārthātkarmaṇo'nyatra loko'yaṃ karmabandhanaḥ |
tadarthaṃ karma kaunteya muktasaṅgaḥ samācara ||3.9||
ヤッニャ目的の行い以外、その人はカルマによって束縛されます
カウンテーヤ、執着から離れ、その目的で行いをしなさい[9]
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火の儀式[ホーマ होमः homaḥ]において祭壇は火であり、火は、運ぶという役割があります。
こちら[ストゥーラ]な世界から、あちら[スークシュマ]の世界へと運ぶ役割です。
捧げる人[ヤジャマー]が、奉納物を火の中に供物の受けとる側[デーヴァター]に捧げます。
デーヴァターに何かを捧げる時、お返しを期待する様な相互作用はありません。
「供物はデーヴァターのもので、自分のものではない」と、マントラを使い述べます。
全てはヤッニャとして見なされるのです。
私が吐く息、二酸化炭素は植物に捧げられ、植物の吐く息、酸素は私に捧げられる。
呼吸もヤッニャであると見なされます。
呼吸のコントロール[プラーナーヤーマ]をする人は、エクササイズでは無く、プラーナを神[イーシュワラ]として、ヤッニャをします。
ヨーガのポーズ[アーサナ]は、ヤッニャです。
アーサナは、それぞれにデーヴァターを持ちます。
インドの音楽、ラーガというメロディも、それぞれ統括している神々があります。
創造物のあらゆる面が、イーシュワラの側面としてみなされ
その側面が、統括する神[デーヴァター]になります。
あらゆるものの中に全体、もしくは全体の側面を祈ることができます。
目や耳、鼻などの器官のあらゆる機能は、統括する神[デーヴァター]があり、それこそイーシュワラです。