
देवान् भावयतानेन ते देवा भावयन्तु वः ।
परस्परं भावयन्तः श्रेयः परमवाप्स्यथ ॥३.११॥
devān bhāvayatānena te devā bhāvayantu vaḥ |
parasparaṃ bhāvayantaḥ śreyaḥ paramavāpsyatha ||3.11||
これ(ヤッニャ)によって、あなたたちが、神々をなだめ安らげなさい。それらの神々が、あなたたちをなだめ安らげますように。お互いになだめ安らげあい、あなたたちは、最も価値あるもの(モークシャ)を得るでしょう。
-
自然現象を単なる火の玉や、水の塊の物質として見るのではなく、そこに宿る神聖な知性、すなわちデーヴァターとして認識することが、ヴェーダの生き方の土台です。
太陽、風、水、大地といったすべての要素は、イーシュワラの現れであり、私たちは日々その恩恵を授かっています。
儀式・祈り[yajña]とは、これらの宇宙の力に対して敬意を払い、調和を保つための行為です。
私たちが祈りを通じて神々を「なだめ、安らげる」とき、宇宙の側からも祝福がもたらされます。
この双方向のやり取りが、ヴェーダの説く真の生態系です。
「日の出」に間に合うように起きるという教えがあります。
この祝福を当然のものとせず、祝福が来る時、しっかり目覚めているべきです。
この様な理解こそが、生態系とは何かについての理解であって、理解する以外にエコロジーなどありません。
◎ヤッグニャは繊細さを必要とする
レーガン元知事のように、セコイアの木を単なる自然を単なる「資源」や「製材」として見る視点には、イーシュワラもエコロジーも存在しません。
それは個人の欲望に根ざした「エコノミー(経済)」の視点です。
対して、ヴェーダが教えるエコロジーとは、一本の木、あるいは太陽や風の背後に、デーヴァターを見出す「理解」そのものです。
エコロジーとは外側に物理的に転がっているものではなく、見る側の理解にのみ存在します。
あなたが、その木に宿る神聖な秩序を認識したとき、初めてそこにエコロジーがあります。
この理解に基づく、相互の分かち合い[yajña]は、人間が祈をを捧げ、神々が雨や健康という祝福を返すという、宇宙の循環を意味します。
この調和の中に身を置くことで、アンタッカラナ・シュッディがあり、最終的にはモークシャへと導かれます。
秩序に沿った行いは、例え今生でそのゴールに到達できなくても、少なくとも天国[svarga]を体験するであろうと言われますから、何も無駄はありません。
スヴァルガは、よりよい生まれも意味し、次の人生でモークシャに向かい、更に進んでいくでしょう。
ギーターはモークシャ・シャーストラで、スヴァルガ・シャーストラではないのでこの解釈がより適切です。
