देवान् भावयतानेन ते देवा भावयन्तु वः ।
परस्परं भावयन्तः श्रेयः परमवाप्स्यथ ॥३.११॥
devān bhāvayatānena te devā bhāvayantu vaḥ |
parasparaṃ bhāvayantaḥ śreyaḥ paramavāpsyatha ||3.11||
これ(ヤッニャ)によって、あなた方が、神々を喜ばせなさい。
それらの神々があなた方を喜ばします様に。
互いに喜ばせ合い、あなた達が最も価値あるものを得るでしょう。[11]
-
この詩で、ヴェーダで言われる日々の儀式を行うことで、イーシュワラの様々の側面である神々が、どの様に祈られるのかをクリシュナはアルジュナ言いました。
太陽を単に火の玉として見るなら、それは生き物ではなく、ただ単に有難いものです。
しかし、太陽をデーヴァターとして見るなら、イーシュワラから離れていないものと理解します。
毎日その恩恵を頂く、たくさんのデーヴァター達がいます。
自由意思の理解のレベルでのエゴロジーがあり、それがイーシュワラである秩序です。
日々のヤッニャは、イーシュワラの様々な力の形の現れ[デーヴァター]に対し、捧げ、なだめ安らげることを意味しています。
あなたが神々をなだめ安らげます様に。
そして祈られた神々があなたに安らぎを与え祝福します様に。
日々の義務と、お祈りをしすることで、宇宙の力があなたを祝福します様に。
神々があなたを祝福し、あなたが神々をなだめ安らげます様に。
すべきことをしないことによって、宇宙の生態系を乱しません様に。
宇宙の力を認識すると、物事を当たり前のこととは思わないので、インドの子供達は太陽を迎える様(日の出前)に起きなければならない、と言われます。
神は太陽という形で毎日やって来ますから、祝福が来る時、しっかり目覚めているべきなのです。
この様な理解こそが、生態系とは何かについての理解であって、理解する以外にエコロジーなどありません。
イーシュワラが宇宙の力として理解され、なだめ鎮められるよう祈られます。
なだめ鎮めるための1つの形は日々の祈りです。
イーシュワラを様々な力として、神々として理解し感謝し、そして神々が私達を祝福しますように。
行うべきことを行って、あなた方皆が成長しますように。
ここには、神々があなたを祝福し、あなたは神々を祈るという相互の尊敬があります。
あなたは神々にお供え物を捧げ、神々は、雨、エネルギー、健康などの形であなたに捧げます。
この様にして、適切な準備で一歩一歩、知識が定着する考えを準備し、きれいにすること[アンタハ・カラナ・シュッディ]によって、直接ではなく、すぐにではなく、モークシャをあなたが得ますように。
知識を追及し、それを得ることなく死んでも、あなたは少なくとも天国[スヴァルガ]を体験するであろうと言われていますから、何も無駄はありません。
スヴァルガは、よりよい生まれも意味し、あなたは次の人生でモークシャに向かい、更に進んでいくでしょう。 ギーターはモークシャ・シャーストラで、スヴァルガ・シャーストラではないのでこの解釈がより適切です。