千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章12番目の詩

इष्टान् भोगान् हि वो देवा दास्यन्ते यज्ञभाविताः ।

तैर्दत्तानप्रदायैभ्यो यो भुङ्क्ते स्तेन एव सः ॥३.१२॥

iṣṭān bhogān hi vo devā dāsyante yajñabhāvitāḥ ।

tairdattānapradāyaibhyo yo bhuṅkte stena eva saḥ ॥3.12॥

ヤッニャによってなだめ安らげられた神々は、あなたに望みの物を与えてくれるでしょう。ですから、彼らに捧げることなく、彼らによって与えられたものを楽しむ人は、まさに泥棒なのです。

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祈り[yajña]を人生の最優先事項とする人々に対し、イーシュワラは成長を助けるふさわしい状況を整えてくれます。

しかし、一人の個人がダルマに沿った人生を歩むためには、社会全体にもダルマが根付いていることが重要です。

例えば、利権が支配する構造が横行するような社会では、正しく生きようとすることが困難になります。

それは、根が確立されないまま急激に成長しようとして不安定になった木のような状態です。

私たちが日々デーヴァターを祈り、ダルマに従うことは、アンタッカラナシュッディだけでなく、結果として他者がダルマを生きることを助ける「善い環境」を作り出すことにも繋がります。

多くの人々がこの祈り深い生き方を選択するとき、社会全体がダルマの成長を促す土壌となるのです。

秩序との調和

 自然界の動植物は秩序にプログラムされていますが、人間には自由意志があるため、ヴェーダの教え[dharma]を理解し、宇宙の秩序に従うことを選ばなければなりません。

 太陽や空気など、イーシュワラからの恩恵を絶え間なく受け取りながら、感謝も祈りも捧げず、当然の権利として享受する人を、ここでは「泥棒」や「詐欺師」と呼ばれました。

神々は、人間からの供物を要求しませんが、人間が祈りを通じて宇宙の力を認識することは、自身の感受性を豊かにします。

これにより、世界を単なる物質の集まりではなく、神聖な祝福として捉える意味深い生き方へと変わります。

感謝祭は、年に一度の行事ではなく、日々の食事や呼吸の背後にあるイーシュワラを常に思い出し、お返し(祈りや奉仕)を捧げ続けることを指すのです。

認識と感謝がヤッグニャ

人間が神々に返すべき本当のものは、物質的な供物以上に、すべてはイーシュワラによる恩恵」という認識そのもので、これがヤッニャの真の意味です。

 ヤッニャが、アンタッカラナ・シュッディをもたらし、さらに深い感謝と認識を持ち世界を見るのです。

宇宙の力を正しく尊敬できる人は、個のラーガ・ドヴェーシャという狭い基準に振り回されることがなくなります。

一方、自分の感覚的な満足のためだけに行動し、感謝を忘れる人は、宇宙の巨大な知性を正当に評価しませんから、「泥棒」や「詐欺師」とこの詩で言われました。