千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章12番目の詩

2021/08/02

इष्टान् भोगान् हि वो देवा दास्यन्ते यज्ञभाविताः ।

तैर्दत्तानप्रदायैभ्यो यो भुङ्क्ते स्तेन एव सः ॥३.१२॥

devān bhāvayatānena te devā bhāvayantu vaḥ ।

parasparaṃ bhāvayantaḥ śreyaḥ paramavāpsyatha ॥3.11॥

ヤッニャに喜ばされた神々は、あなたに望みの物を与えてくれるでしょう。ですから、

彼らに奉げることなく、彼らに与えられたものを楽しむ人は、まさに泥棒なのです。[12]

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ここで神々とは、祈りや儀式[ヤッニャ]によって祈られる神々の姿をしたイーシュワラを意味しています。

神々は、全ての望ましい体験を繰り広げ、望ましい物を与えてくれます。

最優先のコミットメントがヤッニャである人々にとって、成長を助ける状況があります。

人がダルマの人生を生きる為に、ダルマが最も優先される社会が必要です。

社会にある程度のダルマがある場所でだけ、その様な生き方がしやすいのです。

デーヴァターを祈ることはダルマに従うということで、祈り深い生き方をすることで、助けとなる環境を作り出します。

多くの人々がこの様な生き方をする時、社会全体がダルマの成長に貢献します。

私達がダルマに反するなら、秩序が乱れ、私達は苦むので、全ての人が、自分の役目を果たすべきです。

デーヴァター達は彼らの仕事をし、人はヴェーダで与えられた秩序[ダルマ]に基づき仕事をします。

動物や木、他の植物は、全てプログラムなのでヴェーダを必要としませが、人は秩序に従うためにヴェーダが必要で、それを理解します。

人が秩序を乱さなければ、デーヴァター達は妨げられることは無いのです。

宇宙の秩序のエコロジーとは、宇宙の力のレベル、デーヴァターのレベルにおいて、妨げがないことを意味します。

太陽、水、火、風、土が各自の仕事をする時、イーシュワラの側面に他ならない宇宙の力から絶え間なく受け取っているのですから、私達もお返しに何か捧げるべきなのです。

イーシュワラを思い出し、お供え物や祈りを捧げる本当の感謝祭はいつも続きます。

これら全ての力を認識する、その祈りが感受性の豊かさを育てます。

単に目が見るものを見て、耳が聞くことを聞くのではなく、そこに現れている生きた法則を見るなら。それは意味深い生き方です。

神々を思い出すという形でお返しをしないことは、人を泥棒にするとクリシュナは言います。

デーヴァター達は理解であり、理解がなければ、デーヴァター達は全く存在しませんが、それでも彼らは常に働きます。

呼吸する、まさにその空気はイーシュワラです。

デーヴァターの仕事は、常に為され、私によって認識され得るのです。

デーヴァター達に返すものが、認識で、それがヤッニャです。

お返し、感謝としてヤッニャを行い、ヤッニャ自体がアンタハ・カラナ・シュッディをもたらし、それによって人は感謝を捧げることが出来るのです。

感謝を捧げ、全てをイーシュワラとして認識することで、確実にアンタハ・カラナ・シュッディを得ます。

その人は、ラーガ・ドヴェーシャに従わず、それを超えて行きます。

一方、考えや感覚器官だけを満足させるためにカルマを行う人は、水や単なる小枝といったお供え物ですら捧げませんから、そのような人は泥棒です。

その人は宇宙の力を正当に評価しません。