कर्मणैव हि संसिद्धिमास्थिता जनकादयः ।
karmaṇaiva hi saṃsiddhimāsthitā janakādayaḥ |
लोकसङ्ग्रहमेवापि सम्पश्यन्कर्तुमर्हसि ॥३.२०॥
lokasaṅgrahamevāpi sampaśyankartumarhasi ||3.20||
実際行いによってのみ、ジャナカ王や他の人は自由を得ました
また適切でない生き方に陥いることから人々を守るという
望ましい状況をだけを見て、あなたは行いをしなければなりません[20]
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ジャナカ王は、賢者で、学者[シュロートリヤ]でしたが、隠退[サンニャーサー]のライフスタイルではなく、家庭人[グラハスタ]、カルマ・ヨーガのライフスタイルで智慧を得ました。
カルマは、モークシャをもたしませんが、モークシャに反してはいません。
モークシャは既に成し遂げられている事実です。
自分自身は既に解き放たれていて[ムクタ]、知識のみが真実を認識させます。
この認識の為の、考えの準備には多くの方法がありますが、自由を得るための方法は知識です。
知識はいつもあるがまま(真実)で、知識が何かを「させたり」「もたらしたり」しません。
「ポット」という対象物の知識はあるがままで、土のポットは、真鍮のポットでは無いように、知識がポットの本質を変えることは出来ず、その本質を理解できるだけです(行いで何かするものではない)。
知るとは、行いではありません。
それは、NO CHOICEで、目という知識の道具があるなら色を見る様に、道具があるなら知識は自動的に起こります。
モークシャは自分自身が解き放たれている[ムクタ]という事実です。
モークシャは既に自分自身の中に成し遂げられているので、ジャナカ王の様にカルマを放棄することなく、この知識を得られるのです。
カルマが、ラーガ・ドヴェーシャを中和する為でなく、それらを満たす為になされるなら知識に反しています。
この様なカルマは間違いなく実際に束縛しますが、これはクリシュナがここで述べるカルマではありません。
彼は、カルマ・ヨーガの態度で成されるべきカルマについて話していました。
このカルマは知識が起こる為に必要な、ある種の考えを得るためのヨーガです。