千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章26番目の詩


न बुद्धिभेदं जनयेद् अज्ञानां कर्मसङ्गिनाम् ।
na buddhibhedaṃ janayed ajñānāṃ karmasaṅginām |

जोषयेत् सर्वकर्माणि विद्वान् युक्तः समाचरन् ॥३.२६॥

joṣayet sarvakarmāṇi vidvān yuktaḥ samācaran ||3.26||

知識にしっかりと留まっているヴィッドヴァーン(賢者)は、行いの結果に執着している無知な人の理解に妨げを作り出すべきではありません。自分自身で全ての行いを上手に行って(無知な人が全ての行いをするよう)励ますべきです。

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真理を知る者[vidvān]は、結果に執着して[karma-saṅga]行動している人々の考えを否定したり、混乱させたり[buddhi-bheda]してはいけません。

よかれと思って「その修行は無意味だ」などと正論を説くことは、相手に不要な混乱を招くだけです。

社会のリーダーや賢者[śreṣṭha]の振る舞いは、人々のの規範となります。

もし賢者が「何もしなくていい」という態度を見せれば、人々は「なすべき正しい事は何もない」と誤解するため、賢者こそが自ら正しく行動し、人々がダルマに従って動けるよう励ます必要があります。

人の生き方や価値観を急に変えることはできません。

川の流れを変える時のように、相手の現状に寄り添いながら、感受性を持って「少しずつ、段階的に」方向を修正してあげることが、真に思いやりのある導き方です。

賢者は他の人の理解を妨げない

知識を得た賢者は、もはや儀式や義務に縛られる必要のない存在です。

しかし、一般の人々に正しい生き方を示すため、あえてお寺に参拝したり、自身の立場に応じた義務を完璧に遂行します。

ダルマは、言葉よりも「お手本」で見せるのが最も効果的だからです。

賢者が、家庭人[grahastha]であれば家族や社会への義務を果たし、サンニャーシーであればその生き方を全うします。

このように自分の置かれた状況で誠実に行動する姿を見せることで、周囲の人々に「成すべきこと」を伝えます。

ダルマは、背中で見せることで言葉に重みが生まれます。

自己の知識[ātma-jñāna]は、 賢者の行動を真似するだけでは知識は得られないため、言葉というプラマーナを通じてのみ教えます。

言葉の本質

何が何たるかを知る人の言葉には重みがあり、聞き手は、その言葉を通じてのみ真実を理解します。

アートマ・ニャーナは、外側に見える動作ではなく理解ですから、座り方や歩き方、目を閉じるかどうかといった「外的なお手本」を見せても、その知識を伝えることはできません。

クリシュナが語る「賢者と無知な人の昼夜の逆転」という比喩は、両者の住む世界(認識)が根本的に異なり、決して交わらないことを意味しています。

無知な人は、物質的な結果に目覚めているが、真実には眠っていますが、賢者は、 真実に目覚めています。

このように住む世界が違うため、ライフスタイルの真似だけでは、知識に到達することは不可能なのです。

お手本が機能するのは、あくまで「適切な行い[karma]」や「社会的な規律[dharma]」の領域だけです。

賢者が適切に行動するのは、人々が迷わないよう、正しい生き方のモデルを示すためです。

「アートマ・ニャーナをお手本で教える」と主張する人々もいますが、それは誤りであり、知識はシャブダ・プラマーナによってのみ理解するのです。