千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章38番目の詩

धूमेनाव्रियते वह्निर्यथादर्शो मलेन च ।

dhūmenāvriyate vahniryathādarśo malena ca |

यथोल्बेनावृतो गर्भस्तथा तेनेदमावृतम् ॥३.३८॥

yatholbenāvṛto garbhastathā tenedamāvṛtam ||3.38||

火が煙によって隠されるように、鏡が埃によって覆われるように

胎児が子宮によって隠されるように、知識は願望によって隠されます。[38]

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火は、光り輝き、それ自身で明らかですが、火の煙が、その火を隠すことができる様に、人の識別[ヴィヴェーカ]、すべき事とすべきでない事の知識は、考えから生まれるカーマに隠されます。

①すべき事とすべきでない事を識別すること[ダルマ・アダルマ・ヴィヴェーカ]

②真実と真実でないものを識別する能力[アートマ・アナートマ・ヴィヴェーカ]

2つの側面のヴィヴェーカが人生を導くために必要です。

すべき事とすべきでない事を識別[カーリヤ・アカーリヤ・ヴィヴェーカ]があれば、アートマ・アナートマ・ヴィヴェーカは自然に続きます。

2つのヴィヴェーカが知識[ニャーナ]を形成します。

火が、そこから発生させる煙に隠され得る様に、この知識[ヴィヴェーカ・ブッディ]は、カーマに隠されます。

火も、ヴィヴェーカ・ブッディも、それ自身で明らかで、その役割を果たすはずですが、隠されるならできません。

カーマが、私の控えめな知性を完全に覆います。

クリシュナは、他にも、埃の膜で覆われた鏡と、子宮で隠された胎児という例えを与えます。

鏡を見ても、埃が覆っているなら鮮明ではありません。

同じく、まだ生まれていない子供がいると知っていますが、まだ日の光を見ていないので、見ることができません。

◎単純なヴィヴェーカが多くの願望を落とす

クリシュナが、ここで3つの例えを使うのは、特別な理由があります。

人の知恵を奪い去る、何らかのカーマは一時的なもので、少しの思慮分別で、それを追い払うことができます。

頭の中で続く多くの空想がいつもありますが、ひと時も、それらが私を束縛する必要はありません。

一時的に私を束縛しますが、本当にそれを望むのかを理解するなら、 空想を追いやることができますから、カーマに関して必要なものは、少しの探求[ヴィチャーラ]だけです。

他のカーマは、更に長い間のヴィチャーラが必要かもしれませんし、ヴィチャーラだけでは、十分ではないかもしれません。

カーマを退けるために、「NO」と言える意思の力も必要です。

例えば、Aさんにどこかに行くようにと頼まれ、本当は行きたくとも、すべきことがあることを知るなら、私は力強く「NO」と答えます。

Aさんに意志を伝えるため、そして自分自身のために、2倍力強く「NO」と答えます。

この「NO」は、ヴィチャーラでは十分ではなく、意志が必要です。

カーマを追い払うこの方法が、埃で覆われた鏡に例えられます。

単に吹き落すだけでは、埃が残るし、モヤがかかってしまうので、湿った布で鏡をきれいに拭きます。

それには意志と努力が必要です。

同様に、願望のなすがままにならないには、ヴィチャーラと意志が必要です。

必要な努力をし、識別のある人と話をしたり、他の行いも必要かもしれません。

まだ生まれていない子宮の胎児の例えは、人が願望のなすがままにならないことに関して、時間[カーラ]の要素も必要だという、より強力な例えです。

子供が生まれるまでに9か月かかるのと同様に、願望を理解し、それらをある程度上手に扱えるようになるには時間がかかります。

それを避けようと、早く産みたいなどと試みるなら、流産という結果になってしまいますから、時間を待つ必要があります。

この詩で例えられた覆い、隠すものは、束縛のある願望とその変化です。

次の詩で、識別する知識[ヴィヴェーカ]が隠されていることを明らかにします。