तस्मात्त्वमिन्द्रियाण्यादौ नियम्य भरतर्षभ ।
tasmāttvamindriyāṇyādau niyamya bharatarṣabha |
पाप्मानं प्रजहि ह्येनं ज्ञानविज्ञाननाशनम् ॥३.४१॥
pāpmānaṃ prajahi hyenaṃ jñānavijñānanāśanam ||3.41||
ですから、バラタの子孫の中でもひと際卓越した人よ!根本の所で感覚器官を制御し
この罪を犯すものを、知識とその熟知を破壊してしまうものを滅ぼしなさい[41]
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怒り[クローダ]に変化し、知恵を奪い、次第に罪人[パープマー]にするカーマを破壊するよう、この詩でクリシュナは言います。
カーマは、手放すことで破壊されると、シャンカラが解説で述べています。
欲求に流されず、手放すことがシャマの練習です。
誰かから電話が来ても、ずっと出なければ、電話がかかってくることは無い様に、 欲求に従わなければ、去ってしまいます。
自分自身とラーガ・ドヴェーシャに距離を保つなら、欲求に従うか、従わないかを決めれます。
欲求を取り除くのではなく、十分な距離とゆとりを保ち、欲求に添って進むのか、進まないのかを決める事ができるのです。
私は欲求に影響されませんから、欲求が起こることをWelcomeすると、ここで美しく言われています。
これが本当のゆとり、自由で、これがシャマの練習です。
カーマが、罪人[パープマー]と呼ばれるのは、知識と智慧を奪ってしまうからです[ニャーナ・ヴィッニャーナ・ナーシャナ]。
泥棒は、罪人と言われますが、泥棒は、最も偉大な財産である知識を奪う事はできません。
お金は再び集める事ができても、知識は、様々な体験、そして長い時間をかけて蓄えられ、少しずつ苦労して得ますから、その最も大切な宝物を奪い去ることは大きな罪です。
また、知識[ニャーナ]は、真実の知識[ヴィッニャーナ]に導く智慧を意味し、ニャーナとヴィッニャーナを破壊する人は明らかに罪人[パーピー]です。
クリシ ュナは、最初にダマを練習し、次にシャマを練習することでカーマを手放すようにと、アルジュナに言いました。
月齢11日目の日の断食[エーカーダシー]は、精神的な成長を願い、通常の食事を抜き、その分空いた時間を、お祈りや聖典の勉強の為に充てます。
朝に1~2時間、黙って静かにいる練習[マウナ]など、サードゥ達も鍛錬法を行います。
これらのダマの練習が欲求を解決し、イーシュワラとの繋がりを見つけてリラックスするシャマへと導きます。