इन्द्रियाणि पराण्याहुरिन्द्रियेभ्यः परं मनः ।
मनसस्तु परा बुद्धिर्यो बुद्धेः परतस्तु सः ॥३.४२॥
indriyāṇi parāṇyāhurindriyebhyaḥ paraṃ manaḥ |
manasastu parā buddhiryo buddheḥ paratastu saḥ ||3.42||
彼らが言うには、感覚器官は体に勝り、考えは感覚器官に勝り
知性は考えに勝る、ところが知性に勝る者が彼[アートマー]なのです[42]
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ダルマ・アダルマ[サーマンニャ・ダルマ]は、教えられる必要はありません。
アルジュナと同じ先生から学んだドゥルヨーダナは、ダルマ・アダルマを知っていましたが、アダルマを選ぶことで何を失うかを知らず、アダルマな行為を選びました。
怒りは、期待や願望が、変化した物[パリナーマ]で、その怒りから、人はすべきでない行いをします。
期待通りに物事が進まない時、そして、その状況を受け入れる準備がないなら、カーマは怒りに変わり得ます。
このカーマが智慧を隠し、人を惑わせ、騙しますが、その願望への探求を進めず「もう十分」と言うことも出来るのです。
智慧があるなら、そこから引き下がり、空想に連れ去られたりしません。
◎自分自身と願望の間に距離を発見しなさい
考え自体の働きを抑えたり、好き嫌いのコントロールは出来ませんが、願望は、感覚器官や考えや知性に宿るので、自分自身と好き嫌いの間に距離を発見し、統轄できます。
考え自体を変えようと、内側に進めば進むほど、現在に至る理由を見つけられます。
この様な心理学は、ある種の理解を得ますが、その問題を超えることが出来ず行き詰まります。
しかし、自分自身に留まることで、考えをうまく扱い、ラーガ・ドヴェーシャを扱うことができるのです。
夢の中の問題の根本的な解決は、夢の外、すなわち目覚めである様に、願望の外側に立つことが出来るなら、ラーガ・ドヴェーシャ、カーマを扱えます。
混乱した考えの中では、その考えを整えることなど出来ません。
マザーコンプレックスだということを発見しても「なぜ、この母のもとに生まれたのだろう?」「何で母はこのように振る舞うのだろう?」と、同じ問題を残すだけです。
心理学のセラピストの元に通うなら、行くこと自体が別の依存癖になるかもしれません。
役に立たないと言っているのではなく、根本の問題を扱う為には、そこから踏み出さなければならないのです。
サムサーラから足を踏み出すことなしに、心理学的な問題は扱えないということです。
アルジュナは、この戦争を放棄し、サンニャーシーとしてリシケシに行くことで、 サムサーラから踏み出せると考えましたが、これは踏み入ることで、踏み出すことではありません。
踏み出すことは、何か外側での変化(行い)ではなく、理解という意味での変化です。
理解があるなら、願望や、好き嫌いとの間に距離が発見され、その時に限り、考えは統轄され得ます。
◎考えを統轄することに関係する秩序
統轄とは、違う視点からされるものという、その秩序をクリシュナは述べました。
感覚器官は、肉体を客体化して捉えることができ、感覚器官の性質として、微かで、行き渡る性質[ヴャーパカットヴァ]があります。
肉体は、横たわっていても、ただ目を開けるだけで星に行くように、目や他の感覚器官は、肉体よりも行き渡っています。
感覚器官の優位性は、感覚器官がスークシュマシャリーラの形で、肉体の内部にあるという事実によって、更に確立されます。
更に、考えは感覚器官が行けない所に行くことができますから、考えが感覚器官よりも優れていると言われます。
感覚器官では夢の世界や天国にはアクセス出来ませんが、考えは天国に行き、想像の地獄で苦しみます。
医者は「この病気であろう」と、私達の見えない世界を見ます。
賢者によれば、考えのアクセスのしやすさと、感覚器官は考えにバックアップされていることから、考えが間違いなく優れたものになるということです。
更には、疑いのない考え、知性、適切な理解[ブッディ]が、考え[マナス]より優っています。
疑いや動揺が解決するなら、それはブッディで、動揺はありません。
一度でも解決があるなら、動揺している考え、疑いの考えは去ってしまいますから、ブッディは明らかに考えより優れています。
◎願望は、あなたには限りは無いと認識されることで破壊される
カーマは、まさにマナスとブッディに位置します。
これら2つは、気分や感情を伴い揺れ動くならマナス、「1+1=2」と結論がはっきりしているならブッディと、ヴルッティのタイプが違うだけです。
願望は、智慧さえも連れさるほど強力ですから、願望の中ではなく、願望を扱うために、願望の外に踏み出します。
「無知故に願望が動いている」という正しい視点が必要ですから、ブッディより優れているのが、アートマーだとクリシュナは言います。
自分自身[パラマートマー]が、既にあることに気づかねばなりません。
ダマやシャマを練習しなさいとクリシュナは言いますが、「私は限りの無いもの」という事実に目覚めるなら、カーマは、もはや敵でなく、恩典となるのです。