千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章42番目の詩


इन्द्रियाणि पराण्याहुरिन्द्रियेभ्यः परं मनः ।

मनसस्तु परा बुद्धिर्यो बुद्धेः परतस्तु सः ॥३.४२॥

indriyāṇi parāṇyāhurindriyebhyaḥ paraṃ manaḥ |

manasastu parā buddhiryo buddheḥ paratastu saḥ ||3.42||

彼らが言うには、感覚器官は体に勝っていて、考えは感覚器官に勝っています、知性は考えに勝っています。ところが知性に勝っている者がその人(アートマー)なのです。

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アルジュナが「何が人を悪に駆り立てるのか」と問うたとき、その生きた例としてドゥルヨーダナがいました。

彼は善悪を教えられ、正邪を十分に理解していながら、不適切な行いを止められませんでした。

その原因は、欲望[kāma]にあります。

クリシュナは、欲望[kāma]と 怒り[krodha]を別個のものではなく、同一のエネルギーの変容[pariṇāma]であると説きました。

怒りは常に自分の期待や願望から生まれます。

何かが起こることを期待し、それが裏切られたとき、その事実を受け入れる準備ができていないと、カーマは瞬時に怒りへと姿を変えます。

カーマは智慧を覆い隠し、人を惑わせ、誤った道へと「騙し」ますが、その願望への探求を進めず「もう十分」と言うことも出来るのです。

智慧があるなら、そこから引き下がり、空想に連れ去られたりしません。

あなた自身とあなたの願望の間に隙間を見つけなさい

クリシュナは、欲望[kāma]を無理に抑え込むのではなく、自分自身と「好き嫌い[rāga-dveṣa]の間に適切な距離を見つけることを説いています。

心理学のように、自分の内面を深く掘り下げ、問題の理由(例:マザーコンプレックス)を特定することは、一定の理解をもたらします。

しかし、理由を知るだけでは、沸き起こる感情や問題そのものを取り除くことはできません。

問題の渦中に留まったままでは、一つの悩みを解決しても、「なぜ自分はこうなのか」という新たな問い、別の悩みが生まれる連鎖から抜け出せません。

ニュートンが「地球の重さを計るには地球から離れなければならない」と考えたように、考えを統括するためには、考えの混乱の外側に立つ必要があります。

自分が考えそのものと同化している間は、考えを整えることは不可能です。

自分がその観察者となり、願望の外側に立つことによってのみ、カーマのお世話が可能になります。

アルジュナは、「隠退してリシケシへ行く」といった外側の環境の変化で、サムサーラからの脱出をしようと考えました。

しかし、これは踏み入ることで、踏み出すことではありません。

真の脱出は、外側を変えること(行い)ではなく、自分自身の「理解」を変えることです。

自分の本質[ātmā]と、道具である考え[rāga-dveṣa]の間に距離を発見すること。

この距離があって初めて、考えは統括され、欲望に振り回されない自由が得られます。

◎考えを統轄することに関係する秩序

クリシュナは、欲望を統括するための土台として、私たちの内側にある「何が何より優れているか」という秩序を明らかにしました。

ここで言う「優れている」とは、より微細で、より広く行き渡り、対象を客体化できる能力を指します。

感覚器官[indriya]は肉体よりも優れています。

肉体はその場に留まるしかありませんが、視覚などの感覚は瞬時に遠くの星々まで届く「行き渡る性質[vyāpakatva]」を持っています。

また、感覚は肉体そのものを客体として捉えることができます。

「考え[manas]」は感覚器官よりも優れています。

感覚器官は物理的な対象に限定されますが、「考え」は感覚の届かない場所(天国や地獄、想像の世界)へも行くことができます。

また、考えが伴わなければ感覚器官は機能せず、感覚は常に「考え」の支配下にあります。

「知性[buddhi]」は「考え」よりもさらに優れています。

「考え」は疑いや動揺の場ですが、「知性」はそれを解決し、決定を下す場です。

知性による理解が定まれば、考えの動揺は消え去ります。

また、知性は「意志」を司り、考えを方向づける力を持っています。

◎願望は、あなたには限りは無いと認識されることで破壊される

願望[kāma]の潜伏場所である「考え」や「知性」の内側に留まっている限り、その影響から完全に逃れることはできません。

最終的な解決は、それらを超えた自分自身の真の姿を認識することにあります。

「考え」の中に現れる願望がどれほど強力であっても、それを見つめているあなた自身[ātmā]は、常にその外側にいます。

クリシュナは、ブッディよりもさらに優れた存在は、パラマートマーだと述べました。

カーマを根本から扱う方法は、自分が「足りていない」という勘違いから目覚めることです。

自分を「考え」や「知性」と同一視せず、「私こそパラマートマーである」と認識したとき、敵であったカーマはその力を失います。

「私は既に満たされている」という事実に目覚めるなら、カーマはもはや敵ではないのです。

ダマやシャマを練習しなさいとクリシュナは言いますが、幸せになるために満たす必要のない願望は、私を縛る鎖ではなく、人生を彩る恩典になります。