2020-11-17

【ギーター】第3章2番目の詩①

2020/11/16

アルジュナの理解は、クリシュナは行為を求めながら

同時に知識とその追求をも賞賛している。

「なぜ、あなたはこの恐ろしい行為を、私に求めるのですか」

アルジュナの質問が2番目の詩にも続きます。

व्यामिश्रेणेव वाक्येन बुद्धिं मोहयसीव मे ।

vyāmiśreṇeva vākyena buddhiṃ mohayasīva me |

तदेकं वद निश्चित्य येन श्रेयोऽहमाप्नुयाम् ॥३.२॥

tadekaṃ vada niścitya yena śreyo’hamāpnuyām ||3.2||

まるで矛盾している様に思える言葉で

あなたは私の考えを困惑させている様に思えます。

どちらが良いか決め

自由を得る為の1つを私に教えて下さい。[3-2]

クリシュナの言葉は、矛盾している

と、アルジュナは言わず

”矛盾しているように思える”

と言いました。

この様な状況の時、どの様に、言葉を発するのか?

という暗示が与えられています。

人が集まれば、対話の中に非難の言葉を耳にします。

誰かに、あれやこれやをされた、と思う時

「〇〇さんは、こういう事を私にした!」

と言うかもしれませんが

これでは、〇〇さんは守りの体制に入り

言うことを受け入れてくれません。

そして私は、自分の思いを軽視された

理解されていない、と考えます。

〇〇さんも、自分は非難されている

全く理解してもらえないetcと感じます。

コミュニケーションがないだけでなく、誤解もあります。

アルジュナの使った”まるで[イヴァ]”という言葉は

コミュニケーションにおける

基本的法則を示し、教えます。

コミュニケーションする相手に

守りの態勢をとらせないよう努めます。

アルジュナは「自分を混乱させている」と言う事で

クリシュナを責めているのでも、言葉が矛盾している

と言っているのでもありません。

「私を混乱させているように思える」と言いました。

つまり、「私は理解出来ていない」

と言っているのです。

アルジュナのクリシュナへのシュラッダーの態度です。

◎信頼[シュラッダー]

ヴェーダーンタの文献タットヴァボーダで

シュラッダーは

गुरु-वेदान्त-वाक्येषु विश्वासः

と定義されています。

わたしの知識[ブランマ・ヴィッディヤー]

それを教える先生[グル]と

知るための道具[プラマーナ]である

ヴェーダーンタの言葉に

全信頼=それ以外のプラマーナは無い

という理解をおいています。

◎知る為の道具[プラマーナ]

対象物は何であれ、人間が何かを知る時には

その対象物を知る道具[プラマーナ]が必要です。

プラマーナを通してのみ

人は何かを知ることが出来ます。

色や形を知る為に「目」というプラマーナを使い

音を知る為に「耳」というプラマーナを使う。

色や形を知る為に「耳」では知識が明かせません。

明日晴れるか?を知る為に

目で見たデータを元にし

それを論理的に処理して結果に導く

「推測」というプラマーナを使います。

自分と世界の本質を知る為には

「ヴェーダーンタ」をプラマーナとして使います。

※プラマーナ詳しくはこちらのページ

ヴェーダで述べられる全カルマとその結果は

雨季で水でいっぱい状態の井戸の様なもの。

水が、至る所で手に入るなら

井戸の水は、何の役に立つのでしょう?

同様に、自分自身が満たされていて

何の限界もないことを知る賢者には

私に安全を与え、幸せを与えるものは

必要ではありません[2-46]

安全や幸せに価値が無い、といことではなく

無くても、既に満たされているということです。

クリシュナ神が賢者を讃え言いました。

賢者を讃えることで、智慧が讃えられます。

クリシュナは智慧を讃え

知識が、モークシャに相応しいことをハッキリさせました。

ですから、アルジュナに行動するよう求めたことは

私を混乱させているように思える、と

アルジュナはクリシュナに言いました。

アルジュナの混乱は、行い[カルマ]、知識

このどちらか1つが、Best[シュレーヤス]に導く

という結論に基づいていました。

行い[カルマ]は、人の意志によって生み出され

4つタイプの結果が生み出されます。

1.私によって作り出されるもの

2.既に作り出されていて、私に修正され、破壊されるもの

3.私に清められ、浄化されるもの

4.既にある場所に到達する

世俗的、宗教的、どんな行動も

これらの4種類の結果の中の1つを生み出します。

自由[モークシャ]は、生み出されるものではありません。

モークシャが、作り出されるものなら

消えて無くることにもなります。

例えば、.わたし[アートマー]を浄化し

モークシャが達成出来るなら

アートマーは、またすぐに汚れ

毎日、それを磨かなければなりません。

アートマーは、自分自身なので

離れていないので、到達することは不可能です。

アートマーが修正されたものが

モークシャなのでもありません。

修正され得るものは、時間に左右されますから

得られたモークシャは、後に失います。

また、アートマーが修正されるものである為には

私に具体的に捉えられるものでなければなりませんが

アートマーは自分自身なので

自分の手で、掴めるようなものではありえません。

それゆえ、私が、修正できる様なものでもないのです。

自己とは、既に達成されていて

モークシャは、私そのもの、私自身なのです。

しかし、クリシュナはアルジュナに

カルマをするように求めました。

アルジュナは、1.知識か、2.カルマか

どちらか1つに決め欲しいと頼みました。

それが、カルマであるのなら

アルジュナは、その理由が知りたかったのです。

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