2020-12-15

【ギーター】第3章3番目の詩③

2020/12/14

श्रीभगवान् उवाच ।

śrībhagavān 1/1 uvāca III/1 |

लोकेऽस्मिन् द्विविधा निष्ठा पुरा प्रोक्ता मयाऽनघ ।

loke7/1asmin 7/1 dvividhā1/1 niṣṭhā1/1 purā0 proktā1/1 mayā3/1anagha8/1|

ज्ञानयोगेन साङ्ख्यानां कर्मयोगेन योगिनाम् ॥३.३॥

jñānayogena3/1sāṅkhyānāṃ6/3karmayogena3/1yoginām6/3 ||3.3||

シュリー バガヴァーンが言いました。

罪のない者よ。この世の2つ専心するライフスタイルは

最初に私によって語られましたが

サンニャーシーの為のニャーナヨーガと

ヨーギーの為のカルマ・ヨーガです[3-3]

  サーンキャ―の定義

1.知識

2.意識

3.サンニャーサ

4.サンニャーシー

सम्यक् 適切に ख्यायते 知られる सा それは वैदिकी 知識[ヴェーダ]सम्यग्बुद्धिः 真実の知識 साङ्ख्याサーンキャー ।

तया それによって प्रकाश्यत्वेन 輝かされるもの सम्बन्धि तत्त्वं 真実[ブランマン]साङ्ख्यम्サーンキャム(知識の本来の姿)।

तद्विषया बुद्धिः その知識は सङ्ख्यबुद्धिः 真実の知識 ।

सा その साङ्ख्यबुद्धिः 真実の知識 येषां それにより ज्ञानिनाम्ニャーニー達に उत्तिता 適しているものが भवति あり ते それらが साङ्ख्याःサーンキャー।

  人の成長、識別[ヴィヴェーカ]

1.ニッテャ・アニッテャ・ヴァストゥ・ヴィヴェーカ

人は、自分が何かを知らず、自分を満たす為、アルタやカーマを追求します。

しかし、この延長線上には幸せはない。

その自分自身のおなじみの考えからの自由、あらゆる制限からの自由[モークシャ]を求める大きな価値を知った人の識別です。

2.プラマーナ・ヴィヴェーカ

ニッテャ・アニッテャ・ヴァストゥ・ヴィヴェーカを得た人の祈りは、イーシュワラを呼び起こします。

その恩恵により、不安と不満足の根本的な原因をはっきりと認識します。

そして、自分自身の無知を落とす知る手段[プラマーナ]は唯一、ヴェーダの最後の部分、ヴェーダーンタの言葉だけという識別が起こります。

※知る手段[プラマーナ]

五感と考えを使い、私たちは世界の知識を明かしますが、それら2つのプラマーナだけで明かせる知識は限りあるものです。

全体宇宙のほとんどが無知のままで残っています。

無知が残る限り、あるがままの事があるがままに見えず、それ故、勘違いや、空想や妄想を重ねて世界を見ます。

生まれ持つ五感と考えでは明かせない、世界の知識を明かすプラマーナとして、ヴェーダは聖典と呼ばれます。

感覚器官、考え、ヴェーダ(ヴェーダーンタを含む)。

この3つのプラマーナで、人は無知ゆえの不安と不満足からの自由[モークシャ]を得ます。

3.タットヴァ・ヴィヴェーカ

真実の識別[アートマー・アナートマー・ヴィヴェーカ]。

ヴェーダーンタの言葉を使い、自分自身の無知を落とし、知識を明かします。

  サンニャーサ

動詞の原型 अस् [as]に、सम् [sam]と、नि [ni]2つの接頭語を付け、最後に接尾語अ [a]を付ける。

意味は、「放棄すること」。

家族や社会から一切の権利を求めず、また義務も負いません。

持ち物を最小限にし、グラハスタからサポートを得て勉強を続けます。

学者型[シュロートリヤ]と、巡礼者型がいます。

本当の意味のサンニャーサ

”わたしは、行い手ではない” ”わたしは、行いをしていない”

行いがない状態を[ナイシュカルミャ]と言います。

わたし[アートマー]は、どんな行いもせず

誰かに行いをさせることもありません。

わたしがしている全ての行いにも関わらず

わたしは行い手では無いのです。

この知識が、本当の意味のサンニャーサ

[サルヴァ・カルマ・サニャーサ]です。

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