2021-02-09

【ギーター】第3章5番目の詩①

2021/02/08

न हि कश्चित् क्षणमपि जातु तिष्ठत्यकर्मकृत् ।

na hi kaścit kṣaṇamapi jātu tiṣṭhatyakarmakṛt |

कार्यते ह्यवशः कर्म सर्वः प्रकृतिजैर्गुणैः ॥३.५॥

kāryate hyavaśaḥ karma sarvaḥ prakṛtijairguṇaiḥ ||3.5||

実際、一瞬でさえ、行いすること無くいれる人は誰もいません

なぜならプラクルティから生まれたグナにより

私達は皆、抵抗もできず行いをさせられているのです[3-5]

現在、そして未来も、一瞬でさえ

行いせず存在出来る人はいません。

クリシュナでさえ話し、教えるといった

様々な行いをしました。

インドでは「静かにしていること」は

何もしないでいる意味になるのですが

「静かにしていること」も行いです。

「~し続けること」が行いですから

「静かにしていること」も行為です。

カルマの定義は幾つかあります。

例えば、自分の意志で為されたことは

何であれカルマです。

自分の意志なく、瞼を自然に閉じる

これもカルマです。

一般的なカルマ定義は、動きの形にあるものです

[チャラナ・アートマカム カルマ]。

行いが、動くことなら

行いがないこと[ア・カルマ]は動きが無い事になり

それが、ナイシュカルミャになってしまいます。

自分は、動いていないと思っている人に

「何かカルマをしていますか?」

と聞いても答えません。

話すことがカルマになるのですから。

そのかわり、否定の意味で首を振る

これは行いになります。

「行いをしていないのですか?」

という質問に、彼が同意する意味で頷けば

それも行いをしていることになります。

全身は常に活動し、呼吸も動きで

考えることも動きです。

サンニャーシーのビクシャーさえも活動です。

その人に食べ物を与えず

紙に「ビクシャー」とだけ書いて手渡すなら

その人がどうするか見てみると分かるでしょう。

料理をする、歩く、沐浴する、全てカルマです。

どんな姿勢でも、座ることはカルマです。

では、いつ動きがなくなりますか?

「自分は動きがないものそのものだ」

と知る、まさにその時です。

ただ知識でのみア・カルマがあります。

そうでなければ、他にア・カルマはありません。

シュルティでは、死後も人は別の生を受け

さらなる行いが待ちうけていると言います。

熟睡時でさえも、生命維持に不可欠な

呼吸、生理学的機能は働き続け行いがあります。

活動がないなら、断食(ファスト)を

やめる(ブレイク)必要もなく

朝ごはん(ブレイクファスト)も要りません。

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