2021-02-23

【ギーター】第3章6番目の詩

2021/02/22

कर्मेन्द्रियाणि  संयम्य य आस्ते मनसा स्मरन् ।

इन्द्रियार्थान् विमूढात्मा मिथ्याचारः स उच्यते ॥३.६॥


karmendriyāṇi saṃyamya ya āste manasā smaran |

indriyārthān vimūḍhātmā mithyācāraḥ sa ucyate ||3.6||

行動器官を制御して座っていても

考えが感覚の対象を忘れられない人は

惑わされていて、間違った振る舞いをしている人だと言われます[6]



ー

行いが無いこと[ナイシュカルミャ]を

アートマーの本質であると理解しない人は

自分を行い手であると勘違いします。

行い手として、意志の力で行いを手放す人

その生き方は間違っています。

ミッテャー・アーチャーラとは「間違った生き方」です。



アートマーを知らない人は

問題や不備などを抱えたサムサーリーです。

行いを手放したとしても

感覚の対象にこだわらざるを得ません。

行動器官を制御し、行いをしていない、と考えます。

話すなどの行いをせず、ただ座っています。

自分自身を満ち足りたもの

[アーナンダ]と知らないので

その人は感覚の対象のことを

否が応でも考えてしまいます。

ありとあらゆる対象物に必ず執着します。

この様な人を、惑わされた人、

困惑した人[ヴィムーダートマー]

とクリシュナは呼びました。

振る舞い自体が間違っています。

常に感覚の対象について考えているので

決して行いがない状態ではありません。



自分自身の知識無く

行いが無いことはあり得ません。

この人が対象物のことを考えていない

としたらどうでしょう?

アートマーを知らない限り

考える対象物は他に無いので

それらを考えざるを得ないのです。

もしアートマーが理解されているなら問題はありません。

その人には既に行いがありません。

ですからアートマーの知識を

モークシャと言うのです。

この知識無しに行いをしないことで

ナイシュカルミャを得ようとする人は

間違った生き方をするのです。

その人はアートマーの知識を満喫する代りに

過去に経験した対象や

未だ体験していない起こりうる経験を

深く考えることでしょう。

それをシャンカラは、罪深いこと[パーパーチャーラ]

とさえ言う様に、この種の生き方は間違っていると

クリシュナはアルジュナに伝えました。


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