2021/03/15
यस्त्विन्द्रियाणि मनसा नियम्यारभतेऽर्जुन ।
कर्मेन्द्रियैः कर्मयोगमसक्तः स विशिष्यते ॥३.७॥
yastvindriyāṇi manasā niyamyārabhate:'rjuna |
karmendriyaiḥ karmayogamasaktaḥ sa viśiṣyate ||3.7||
アルジュナよ。一方、考え(識別)によって感覚器官を制御しながら執着を手放し
行動器官を使い、カルマ・ヨーガを選択する人は、ずっと優れている[7]
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アンタ・カラナ・シュッディはイーシュワラを理解するためにあります。
「知ること」「得ること」「たどりつくこと」
これらの言葉が意味するのはイーシュワラの知識で、自己の知識とは離れていないものです。
個人[ジーヴァ]と、神[イーシュワラ]は同じもので、あなたはあれです[タット トヴァム アシ]という等式で表現されます。
あれ[タット]は、世界の源[イーシュワラ]を指します。
あなたは「あれ」、イーシュワラです。
この等式は当然ながら、自己の知識、イーシュワラの知識を指します。
イーシュワラから何かを得ることは、ラーガ・ドヴェーシャを意味しますが、カルマヨーギーはイーシュワラとは何か?を理解しイーシュワラの視点を持ちたいと望みます。
クリシュナは、このヨーガを始める人をずっと優れたもの[ヴィシッシャテー]と描写しました。
6番の詩のミッティヤーチャーラと比較して、それより良いと言っているはありません。
この2つは、全く違うもの、比べるどころではありません。
単に優れているということでもなく、全く比べるどころでは無いという意味です。
見た目は、行いはしていなくても、内心では、手放した感覚的なものに執着している、この偽善者は怠惰な人と言われます。
無為に過ごす人というのもいます。
無為に過ごす人は、何も達成することなく、いつも忙しくしている人のことです。
様々なややこしいことを作り出し熟すのです。
その人は、何もする時間がなく何も達成できません。
ハワイのプラネタリウムで、忙しく設計されたコインで操作する機械が置いてあります。
動くピストンや、回転する歯車、打ちつける仕組みなど、あらゆるカラクリのある機械です。
しかし、それは何も作り出されることはありません。
エネルギーと才能の無駄遣いで、何も達成することなくバタバタしている人、無為に過ごす人を現す皮肉の例えです。
無為に過ごす人と、怠惰な人は違います。
カルマ・ヨーギーは究極のプルシャールタ、つまりモークシャを達成しますが、偽善者である怠惰な人は、相対的な意味でさえ何も成し遂げることはありません。