千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章08番目の詩

नियतं कुरु कर्म त्वं कर्म ज्यायो ह्यकर्मणः ।

शरीरयात्रापि च ते न प्रसिद्ध्येदकर्मणः ॥३.८॥

niyataṃ kuru karma tvaṃ karma jyāyaḥ hi akarmaṇaḥ |

śarīra-yātrā api ca te na prasiddhyet akarmaṇaḥ ||3.8||

なすべきことをしなさい。行いは何もしないより優れているのです。何もしないのであれば、自分の体を維持することさえ、できないでしょう。

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[niyatam]とは、単にシャーストラの教えに従うことだけを指すのではなく、直面している状況という「普遍的秩序」の中に自ずと示される適切な行いを意味します。

人は状況に応じて何をすべきかが明らかであり、何もしないことよりも、その時々にふさわしいカルマを実践する方が優れています。

もし行いを放棄すれば、自己の探求はおろか、精神や身体の健康を維持することさえ困難です。

人生という「肉体の旅[śarīra-yātrā]」を継続し、目的を達成するためには、日々の適切な行いを積み重ねることが不可欠です。

人生は生き延びるという目的だけではない

単なる生存は、あらゆる生命に備わった本能であり、人間が達成すべき真の目的ではありません。

人間にはと呼ばれる4つの目的[puruṣa-artha]、すなわち安全[artha]、喜び[kāma]、正義[dharma]、そして究極の自由[mokṣa]があり、これらを達成するために私たちは生きています。

一切の行いを放棄したように見える者であっても、生命を維持し食事を摂る以上、何らかのカルマからは逃れられません。

アルジュナは、行いがプンニャやパーパを生み、それがサムサーラに繋がることを恐れていましたが、クリシュナは、生きる旅において行為は不可避であり、それを恐れずに果たすべき役割を全うするよう言っています。

カルマは使い果たせない

「何もしなければ、カルマによる生死のサイクル[saṁsāra]から脱却し、モークシャを得られる」という考えは、一見理にかなっているように見えますが、実際には不可能です。

シャンカラが指摘するように、人は今世で沈黙を守ったとしても、過去世から蓄積された膨大なサンチタ・カルマを抱えており、また「私は行い手である」という無知がある限り、一瞬たりとも行いを止めることはできません。

この束縛は「無知・欲望・行い」という3本の糸が絡まり合った結び目のような構造をしています。

自分が本来満たされた存在であることを知らない「無知」が、不足を埋めようとするカーマを生み、その欲望がさらなるカルマへと駆り立てます。

この連鎖こそが新たなプンニャやパーパを作り出し、人をサムサーラに縛り付けます。

ですから、単に「行いをしない」ことではなく、この根本にある無知を解消することこそが、真の自由への道です。

カルマ・ヨーガはラーガ・ドヴェーシャの束縛からあなたを解放する

カルマ自体は、人を束縛する要因となりますが、それを「カルマ・ヨーガ」の態度で行えば、逆に自由へと至るため手段[sādhana]になります。

自身のラーガ・ドヴェーシャに執着せず、ヤッニャ[yajña]として行うなら、アンタッカラナが浄化され、整います。

このような考えがあってこそ、知識を受け取ることが可能です。

つまり、カルマそのものが直接自由を与えるのではなく、正しく行われるカルマが知識への準備を整え、最終的に自由へと導くという段階的なプロセスが示されているのです。