2021-04-06

【ギーター】第3章09番目の詩①

2021/04/05

カルマが、人を自由にする直接的な道具でなくても

カルマ・ヨーガの態度で行うなら

人が自由になる間接的道具となり

好き嫌いのしがらみ[ラーガ・ドヴェーシャ]

から解放されます。

カルマが道具[サーダナ]になります。

カルマが祈り・儀式[ヤッニャ]としてヨーガとなり

整った考え[シュッダ・アンタ・カラナ]を得て

モークシャである知識を得ます。

次の詩から始まり16番目の詩まで

クリシュナはモークシャに導く手段として

カルマについて話します。


यज्ञार्थात्कर्मणोऽन्यत्र लोकोऽयं कर्मबन्धनः ।

तदर्थं कर्म कौन्तेय मुक्तसङ्गः समाचर ॥३.९॥

yajñārthātkarmaṇo’nyatra loko’yaṃ karmabandhanaḥ |

tadarthaṃ karma kaunteya muktasaṅgaḥ samācara ||3.9||

ヤッニャ目的の行い以外、その人はカルマによって束縛されます

カウンテーヤ、執着から離れ、その目的で行いをしなさい[9]

ヤッニャは供物を捧げる儀式という意味です。

ヴェーダにおいてとても重要な言葉です。

広い意味で言うと、人生において

イーシュワラの為に捧げるあらゆる行為も意味します。

与えるという行いは

与える人、与えられるもの、受け取る人があり

儀式として捧げることにおいては

捧げる場所、祭壇が加わります。

捧げる儀式では、スヴァーハーやナマハという

「私は、感謝と敬意を持って礼を捧げます」

という意味の言葉があります。

「シヴァ神に、感謝と敬意を持って礼を捧げます[ナマッシヴァーヤ]」

という様な祈りを捧げます。

これが繰り返されることがジャパ・ヤッニャです。

食べ物は、捧げものです。

消化器官を消化の火として思い

その火に捧げられる食べ物は、捧げ物

この捧げる儀式の祭壇、場所は

消化のプロセスであるプラーナです。

食べる前に、プラーナという姿の神に

食べ物が捧げられるのです。



現れたものに、神と分かれているものは1つとして無く

神は、意識的な存在[チェータナ]としてあります。

意識的な存在の中に

消化という動きがあり

捧げられた食べ物も、神と離れてはいません。

ギーター15の章と4章24番の詩は

この様な理由から食べる前に唱えられます。

食べている食物も、それを食べている人も

全てが神であることを述べていますから。

食べることは、捧げることなのです。


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