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ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章09番目の詩③

2021/04/19

यज्ञार्थात्कर्मणोऽन्यत्र लोकोऽयं कर्मबन्धनः ।

तदर्थं कर्म कौन्तेय मुक्तसङ्गः समाचर ॥३.९॥

yajñārthātkarmaṇo'nyatra loko'yaṃ karmabandhanaḥ |

tadarthaṃ karma kaunteya muktasaṅgaḥ samācara ||3.9||

ヤッニャ目的の行い以外、その人はカルマによって束縛されます

カウンテーヤ、執着から離れ、その目的で行いをしなさい[9]

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ブランマン(知的源)が、マーヤー(質の源)を使い、この世界として現れるので、ブランマンは作者で、現れた世界でもあります。

イーシュワラを、あらゆる創造物の材料の源として見るなら、目そのものはイーシュワラ。

知的な源として、神を捉えるならば、目を統括する神になります。

目そのものも、目を現した人(作者)も、色として輝くものもイーシュワラです。

このイーシュワラの理解[バクティ]がなければ、カルマ・ヨーガはありません。

「イーシュワラの栄光を讃える」為には、その栄光を知らなくては、行いを捧げることがただのお世辞の様に、薄っぺらいものになってしまいます。

この宇宙の全てのもの、全ての知識、全てのものに存在を与えているのがイーシュワラです。

バクティという言葉の意味「深く関わること」とは、”関わっていない事など無い”と知ること。

イーシュワラは理解する為の対象で、信仰の対象ではありません。

1+1=2、あらゆる法則は理解する為にあります。

信じるのではなく、それらを理解します。

この理解こそが、カルマ・ヨーガの考え方です。

この様に、カルマ・ヨーガは、バクティ・ヨーガです。

ヨーガには「カルマ・ヨーガ」「ニャーナ・ヨーガ」2種類があると明確に述べられます。

モークシャの為の2つの献身的なライフスタイルがあります。

イーシュワラの理解[バクティ]は、ニャーナ・ヨーギーとカルマ・ヨーギーに共通しています。

サンニャーシー、いわゆるニャーナ・ヨーギーは本当に献身的です。

サンニャーシーの全人生は、イーシュワラの理解する生き方です。

イーシュワラを理解することのみが、サンニャーシーの望みです。

知識は、イーシュワラ、イーシュワラだけがあります。

イーシュワラが探究そのものなのです。

サンニャーシーは帰依者[バクタ]でない、のではありません。

ニャーナ・ヨーガと、カルマ・ヨーガという2つの言葉が使われることから、知識の追求と、カルマの追求の2つがあると考えられ、3つ目の追求として、バクティの追求があるとされるようですが、バクティ・ヨーギーはカルマをしないのでしょうか?

もししないのなら、どの様にバクティをするのでしょう?

イーシュワラを礼拝する儀式全ては行い[カルマ]でカルマ・ヨーガです。

ハレーラーマと歌うことがバクティと思っているかもしれませんが、それは行いです。

話す器官でなされるカルマは、ヴァーチカム・カルマです。

肉体の手足を使ったカルマは、カーイカム・カルマです。

考えを使ったカルマは、マーナサム・カルマです。