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ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章10番目の詩

सहयज्ञाः प्रजाः सृष्ट्वा पुरोवाच प्रजापतिः ।

sahayajñāḥ prajāḥ sṛṣṭvā purovāca prajāpatiḥ |

अनेन प्रसविष्यध्वं एष वोऽस्त्विष्टकामधुक् ॥३.१०॥

anena prasaviṣyadhvaṃ eṣa vo'stviṣṭakāmadhuk ||3.10||

創造主は、はじめにヤッニャと一緒に人間を創造し言いました

これ[ヤッニャ]によって、あなた方が繁栄しますように。これが望みを叶える牛となりますように[10]

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プラジャーパティは、創造主[ブラフマージ]と呼ばれるあらゆるものの神です。

「はじめに神が言いました」という文はヴェーダから引用されています。

ヴェーダは、人よって書かれたものではない知識体で、神によって、古代のリシ達に明かされた知識です。

それは、神が創造した人間の為に語ったものです。

神は人間を作ると同時に、ヤッニャを作り出し、ヴェーダの儀式やその他の行いをする様、全ての人に申し付けました。

ヴェーダの儀式の多くは、それをする為、妻[パットニー]を必要とします。

夫[パティ]が儀式を行いますが、妻いなければ儀式は行えません。

結婚自体に宗教上の目的があります。

人生に、他者を受け入れ、結婚式で女性の手を取ること自体が、宗教的な行いです。

妻は、夫が行った儀式の結果の半分を受け取り、夫の間違った行いの結果は、夫だけが受け取ります。

妻は、食事の準備など、儀式に関する特別な義務があり、責任を分担します。

夫が儀式を行い、妻はそれに許可し、参加します。

妻が夫に儀式を行う資格を与えるので、妻はヤッニャに関係するという意味のパットニーと呼ばれます。

[पत्युर्नो  यज्ञ-संयोगे । ]

結婚式を完成させる為、受胎の為のヴェーダの儀式があります。

更に妊娠7、8ヶ月の間に行われる母子の健康の為のヴェーダの儀式もあります。

子供が生まれるとジャーテーシュティと呼ばれる儀式が、赤ちゃんの代わりに両親によって行われます。

そしてナーマ・カラナという命名の儀式もあり、子供が生まれて初めの年に、耳にピアスの穴が開けられる儀式もあります。

その後で、髪を剃る儀式もあります。

地域によって時期は違いますが、ヴェーダを初めて伝授される為の儀式が8年目か、12年目かにあります。

マントラが与えられ、入門の儀式をしたことで、再度生まれたことになります。

ここから男の子は、毎日の儀式をし、 結婚すると別の儀式を行います。

ヴェーダの世界観では、子供は儀式で生まれ、儀式によって養われるのです。

1日3回、夜明け、日没、頭上に太陽が来る正午に直接神に働きかけて鎮める儀式[サンディヤー・ヴァンダナ]も、食べることも全てが儀式です。

神に6口分の食事を捧げた後、人は食べ始め、食べ終わった後にも、水とマントラを用いる別の儀式があります。

沐浴も儀式で、ヴェーダの教えを受け始めた男の子は、朝起きてから、夜寝るまでに、何度か特定の儀式を行い、儀式の為に必要なマントラを覚え、人生を通してこれが続きます。

人の一生はヤッニャであり、ヴェーダに専心した生き方をする人をヴァイディカと呼びます。

これが「彼[プラジャーパティ]が、人を創造した時一緒にヤッニャも創造した」とクリシュナが言う意味です。

人生を始め、わたしが2人となり、それによって成長を終わりが無いもの、すなわち単数が両数、そして複数になります。

この様にヤッニャによって「大きくなるように、増えますように」とクリシュナは述べています。

この詩の中の「言いました」という言葉の意図を考えなければなりません。

ヴェーダに掲げられた儀式を人間に与えることで、神は私達が成長することをほのめかしています。

「このヤッニャが、あなたの為になりますように」と彼は言いました。

「それが、あなたが望むものをもたらす牛でありますように。あなたの望みを満たす牛でありますように。」

クリシュナが述べた特別な牛は、カーマデーヌと言われ、ヴァシシュタという良く知られた聖者のものです。

ある日、ヴィッシュワ・ミットラ王が、大勢の従者を連れてその聖者の住む森にやってきました。

お腹をすかせていたので、食べ物をもらえないかと尋ると、たった5分程で食事が用意されました。

王は、どうしてその様なことが出来たのか、ヴァシシュタに尋ねると、聖者は裏庭に牛がいるからだと答えます。

「牛と、この素晴らしい食事と何の関係があるのだ?」と王が聞くと、「その牛は何でも出してくれるのです。」とヴァシシュタは答えました。

そこで王は、ヴァシシュタにその牛をくれないかと頼みます。

ヴァシシュタは、ブランマ・リシである人にしか従わないので、クシャットリヤである王には、その牛を王にあげても何の役にも立たないと言いました。

この話は、知識を持つ人[ブランマ・リシ]とは、本当はどんな意味か?

「その1つの知識を持つなら、あらゆるものが手に入る」という言葉に基づく比喩です。

ヴァシシュタは、全てが自分自身[ブランマン]である、と理解することで全てが理解される、その知識を持っていました。

この知識を持つことで、全てを持つことになるのです。

なぜならその人は全てだからです。

ヴァシシュタの願いを叶える牛[カーマデーヌ]は知識を表わしています。

「ブランマンの知識が、カーマデ-ヌであることを明かしますように。それがあなたの全ての願いを満たしますように」と、クリシュナはここで述べています。

あなたが満たされていて、完全であるなら、願望はありません。

しかし、あなたが満たされていて、完全であるということを知る為には、ブランマンを知った人でなければなりません。

ヴァッジュラスーチカ・ウパニシャッドというウパニシャッドがあり、ヴァッジュラ・スーチーは、貫いて意味を明らかにするもの、という意味です。

その中でブラーンマナはブランマンの知識を持つ人[ブランマ・ニャーナ]と定義され、 他の人は皆ア・ブラーンマナです。

ブランマンを知る人だけに、願いを叶えてくれる牛は与えますから、その牛は王様には役に立たなかったのです。

王様が牛から受け取ることといえば蹴られるだけで、それに王様はクシャットリヤらしい反応をし、とても怒りました。

王は、牛を得る為にブラフマ・リシになることを誓い、その為に計り知れないほどたくさんの苦行を行いました。

しかし、怒り続けている限り、彼はブラフマ・リシになることはありませんでした。

遂に、王がブランマ・リシになりたい、という望みを諦めた時、その知識を得たのです。

ヴェーダの中で、神はこう言っています。

「ヤッニャがあなたに全てを与えますように。それがあなたの願いを叶えてくれる牛でありますように」

ヤッニャとは祈りです。

それはヨーガとしてあなたに浄化されたきれいな考え[アンタハ・カラナ・シュッディ]を与え、そして知識[ニャーナ]を与えてくれるのです。

ムムクシュは知ることを望み、その為に、あらゆる手段と鍛錬を用います。

それら全てはヤッニャです。