千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

ヨガ 勉強会  個人レッスン・出張ヨガ 私について ブログ アクセス スケジュール・予約 お問い合わせ

【ギーター】第3章10番目の詩

सहयज्ञाः प्रजाः सृष्ट्वा पुरोवाच प्रजापतिः ।

sahayajñāḥ prajāḥ sṛṣṭvā purovāca prajāpatiḥ |

अनेन प्रसविष्यध्वं एष वोऽस्त्विष्टकामधुक् ॥३.१०॥

anena prasaviṣyadhvaṃ eṣa vo'stviṣṭakāmadhuk ||3.10||

まず最初に、ヤッニャと一緒に人間を創造して、創造主は言いました。「これ(ヤッニャ)によって、あなたがたが繁栄しますように。これ(ヤッニャ)があなたがたの望みを叶える牛となりますように。」

-

ヴェーダの知識体系において、創造主プラジャーパティは人間を創ると同時に、人生を聖なるものとするための儀式[yajña]という仕組みを与えました。

自由意志を持つ人間にとって、儀式は単なる形式ではなく、生まれる前から死ぬまで人生のあらゆる段階をイーシュワラと結びつけるためのガイドラインです。

結婚自体に宗教上の目的があり、夫「pati」から派生した「妻[patnī]」という言葉には、文法上の定義として「共に儀式を行う資格を持つ者」という意味が込められています。

ヴェーダの儀式の多くは、夫婦が揃って初めて出来るもので、家庭そのものが一つの聖なる儀式の場と見なされます。

人生に、他者を受け入れ、結婚式で女性の手を取ること自体が、宗教的な行いです。

妻は、夫が行った儀式の結果の半分を受け取り、夫の間違った行いの結果は、夫だけが受け取ります。

妻は、食事の準備など、儀式に関する特別な義務があり、責任を分担します。

夫が儀式を行い、妻はそれに許可し、参加します。

結婚式を完成させる為、受胎の為のヴェーダの儀式があります。

更に妊娠7、8ヶ月の間に行われる母子の健康の為のヴェーダの儀式もあります。

子供が生まれるとジャーテーシュティと呼ばれる儀式が、赤ちゃんの代わりに両親によって行われます。

そしてナーマ・カラナという命名の儀式もあり、子供が生まれて初めの年に、耳にピアスの穴が開けられる儀式もあります。

その後で、髪を剃る儀式もあります。

地域によって時期は違いますが、ヴェーダを初めて伝授される為の儀式が8年目か、12年目かにあります。

マントラが与えられ、入門の儀式をしたことで、再度生まれたことになります[upanayana]。

ここから男の子は、毎日の儀式をし、 結婚すると別の儀式を行います。

ヴェーダの世界観では、子供は儀式で生まれ、儀式によって養われるのです。

ウパナヤナを経た者が、1日3回(日の出、正午、日の入り)の節目に行う最も重要な日課の礼拝[sandhyā-vandana]があります。

神に6口分の食事を捧げた後、人は食べ始め、食べ終わった後にも、水とマントラを用いる別の儀式があります。

沐浴も儀式で、ヴェーダの教えを受け始めた男の子は、朝起きてから、夜寝るまでに、何度か特定の儀式を行い、儀式の為に必要なマントラを覚え、人生を通してこれが続きます。

◎ヴェーダへの専心がヤッグニャの生き方

ヴェーダに献身する生き方をする人[vaidika]にとって、人生のあらゆる局面はヤッニャであり、それは神聖な義務の継続を意味します。

創造主プラジャーパティが人間と共にヤッグニャを創った目的は、人間が単なる個体(単数)から、他者や家族と結びつき(複数)、豊かに成長していくことにあります。

この様にヤッニャによって「大きくなるように、増えますように」とクリシュナは述べています。

クリシュナが述べた特別な牛は、カーマデーヌと言われ、ヴァシシュタという良く知られた聖者のものです。

faviconある日、ヴィッシュワ・ミットラ王が、大勢の従者を連れてその聖者の住む森にやってきて、空腹なので、食べ物をもらえないかと尋ると、たった5分程で食事が用意されました。

王は、どうしてその様なことが出来たのか、ヴァシシュタに尋ねると、聖者は裏庭に牛がいて、その牛が何でも出してくれるらだと答えます。

王は、ヴァシシュタにその牛をくれないかと頼みます。

ヴァシシュタは、ブランマ・リシである人にしか従わないので、クシャットリヤである王には、その牛を王にあげても何の役にも立たないと言いました。

この話は、知識を持つ人[brahma-rṣi]とは、「その1つの知識を持つなら、あらゆるものが手に入る」という言葉に基づく比喩です。

ヴァシシュタは、全てが自分自身[ブランマン]である、と理解することで全てが理解される、その知識を持っていましたから、全てを持つことになるのです。

なぜならその人は全てだからです。

ヴァシシュタの願いを叶える牛[kāma-dhenu]は知識を表わしています。

ブラーンマナの定義

「願いを叶える牛[kāma-dhenu]」とは、外側の豊かさを手に入れる道具ではなく、自分自身がすでに満たされ、完全であると知る「知識[brahma-jñāna]の比喩です。

ウパニシャドが説くように、ブラーンマナとは、ダイヤモンドのように堅固で、どんな無知も貫き通す鋭い知識[vajra-sūcikā-upaniṣad]を持つ者のことを指します。

ヴィシュワーミットラ王は、力ずくでこの牛を手に入れようとし、膨大なタパスを重ねました。

しかし、彼が「ブランマリシになりたい」という強い欲望や怒りを抱えている間は、その門は開きませんでした。

彼が、その執着さえも手放した瞬間、皮肉にも彼は自分自身が追い求めていた知識そのものになったのです。

ヤッニャの本質的な役割は、欲望を満たすことではなくアンタッカラナ・シュッディです。

この知識を受け取るための準備を整えることにあります。

正しい態度で行われるすべてヤッニャは、最終的に「何も望む必要がないほど満たされている」という真実へと導く、まさに「願いを叶える牛」となるのです。