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ギーターヨーガ

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【ギーター】第6章07番目の詩

जितात्मनः प्रशान्तस्य परमात्मा समाहितः ।

शीतोष्णसुखदुःखेषु तथा मानपमानयोः ॥६.७॥

jitātmanaḥ praśāntasya paramātmā samāhitaḥ |

śītoṣṇasukhaduḥkheṣu tathā mānapamānayoḥ ||6.7||

自分を上手く扱える人にとって、暑い・寒い・快・不快

評価・批判に対して、その人の考えは穏やかで、いつも落ち着いた状態です。

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この詩は、パラムという言葉がサマーヒタハにかかるか、アートマーにかかるかによって、2通りに読
むことができます。

1.アートマー パラム サマーヒタハ

2.パラム アートマー サマーヒタハ

考えをうまく扱っている[ジタ・アートマー]というのは、気分に左右されず、考え、気分は正しく理解されるので、考えに運び去られてしまうことはありません。

色んな感情をを持つな、と言うなら、その提案は気分を悪くさせます。

色んな気分を持ちつつ、そのような気分に左右されないと理解します。

気分をうまくコントロールすることではなく、感情に支配される状態から抜けだすスペース(ゆとり)があるので、気分に巻き込まれることがないのです。

これが、気分をうまく扱う人[ジタ・アートマー]の言葉の意味です。

そのような人は、考えが穏やか[プラシャーンタ]です。

ジタートマーやプラシャーンタな人にとって、常に考えは手の内にあり、いつも整って落ち着いています[1.パラム サマーヒタハ]

どんな状況でも、決して自分自身を見失いません。

好きな食べもの、好みの音楽、話し相手がいるなど、全てがうまく行っている時、考えがまとまって落ち着くことは難しくありません。

この詩では、どんな状況においても常に、考えが落ち着いている人[パラム サマーヒタ]について語られます。

耐えられないほどの寒さ[シータ]や、嫌になるほどの暑さ[ウシュナ]、安らぎ、幸せ、喜びをもたらす状況[スカ]、不快感や、不幸、悲しみ[ドゥッカ]という常に変わり続けるあらゆる状況において、考えをうまく扱う人は、いつも考えが整い平静です。

そのような人にとって、ドゥッカがやってくることが無いのです。

ドゥッカが来るためには、その人の平静さが既に無くなっていなければなりませんから、どんな状況でも、常に整っているその人の考えの中には、何の動揺も起こりません。

また、褒められること[マーナ]、非難される、不名誉なこと[アパマーナ]はもう1つの対極[ドゥヴァンドヴァ]です。

これら2つは、扱うことがとても難しく、ここで、特別に言及されています。

褒められることでさえ、時に対処は難しく、褒められることで、何かを頼まれるのではないかと不安になり、賞賛に対し上手く対処できても、それが、何かの前置きに過ぎないなら、次に何が来るのか気になり、その賞賛は耳に入らないでしょう。

個人に向けられる非難は、受け取るのがとても難しく、それは私の痛みを伴う部分に触れます。

この問題は、子供の頃に起因します。

親が常に子供を批判していたなら、傷つきやすい部分、未熟で、敏感な部分を生み出し、子供の問題になります。

そのあとに続くどんな非難も痛みを引き起こします。

この詩で議論されているのは、適切な理解(避けようが無いこと)を通して、これらの問題を対処した人です。

適切な理解がないと、ポジティブシンキングをはじめとする新しい哲学が作られるかもしれません。

それは、あらゆる痛みや悲しみという問題の上に、重ね合わせたものに過ぎません。

例えば「非難にさらされるべきでない」と単に思い込んでも上手くはいきません。

寒い・暑い、快・不快、賞賛・非難、全ての対極が考えをかき乱す要因になりますから、考えを統括出来るように取り組まなければならないのです。

「かき乱されるべきではない」という思い込みでは、かき乱されている自分自身に上乗せした観念ですから、ただの混乱に過ぎません。

混乱すべきではないと説いても、誰の助けにならないのです。

それは、既にある古い痛みの上に上乗せした観念なので、「べし、べからず」の注意事項リストのような、押し付けた人生観になります。

内側にある古い痛みは、新しく上乗せされた人生観にただ混乱させられるだけで、既にあった混乱に、混乱を付け加えるだけです。

新しい人生観は、役に立つのではなく問題になるのです。

この詩で言わんとすることは、あらゆる状況において、考え[アートマー]はいつも完全に落ち着いた状態[パラム サマーヒタハ]であり、私達はこのような考えの状態のために取り組むべきです。

過去の考えの習性を受け入れ、welcomeし、考えのスペースを保つ練習をします。

また、カーリヤ・カラナ・サンガータが統括されている人[ジタートマー]の考えは穏やかなので、この詩ではプラシャーンタとも呼ばれます。

その人にとって、パラマートマー、ブラフマンが、アートマーです。

言い換えると、知識を持っている人は、サット・チット・アーナンダ・アートマー、つまりパラマートマーが自分自身だと認識しています。

その人は、状況が変わっても、いつも落ち着いた状態[サマーヒタ]だとシャンカラは言います。