千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章37番目の詩

श्रीभगवान् उवाच । 

śrībhagavān uvāca | 

काम एष क्रोध एष रजोगुणसमुद्भवः ।

kāma eṣa krodha eṣa rajoguṇasamudbhavaḥ |

महाशनो महापाप्मा विद्ध्येनमिह वैरिणम् ॥३.३७॥

mahāśano mahāpāpmā viddhyenamiha vairiṇam ||3.37||

シュリーバガヴァーンが言いました。

ラジャスグナから生まれた、この願望、怒りが大食漢で大きな罪人です。

この世界において、それが敵であると知りなさい。[37]

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1.完全な統轄性[アイシュヴァルヤ]
2.創造の力[ヴィールヤ]
3.全ての名声[ヤシャス]
4.全富、資源[シュリー]
5.全知識[ニャーナ]
6.完全な平静さ、足りていない感覚からの自由[ヴァイラーギャ]

これら6つの側面からなるバガを持つ人[バガヴァーン]と呼ばれる人がシャンカラによって議論されます。

このヴァイラーギャは、知識を得るための道具となる資質[サーダナ]ではなく、絶対的なヴァイラーギャ[パラ・ヴァイラーギャ]であり、完全に満たされている事と共にあります。

バガヴァーンは、これら6つの側面の性質が、トータルにいつもある人です。

個人も、小さな単位で、限られたニャーナとヴァイラーギャを持ちますが、6つの資質に関して、何の妨げも制限もないのがバガヴァーンです。

ヴィシュヌ・プラーナを引用し、シャンカラの解説でバガヴァーンが述べられました。

उत्पत्तिम्  प्रलयम् च एव भूतानाम् आगतिम्  गतिम्।
वेत्ति विद्याम् अविद्याम्  च सः वाच्या  भगवान् इति ।  [विष्णु प 6.5.78]

宇宙創造や解消ですら、全ての生き物の生死のタイプや時間や場所

全ての生き物の運命がどの様なものであれ、知識や無知を知っている

彼がバガヴァーンと呼ばれる人

ここで、無知[アヴィッデャー]という言葉はカルマを意味します。

個人は無知の現れ、満たされようとして行いがはじまります。

◎不適切な行いは願望のみから起こる

パーパの行いへと駆り立てるものは、思考だとバガヴァーンは言いました。

思考は、人に頼ってあり、本当にあるものではないですが、アートマーは思考と共にあり、思考は何らかの力を装います。

この思考が、願望[カーマ]であるとクリシュナは言いました。

「この願望[エーシャハ カーマハ]」の「この」とは、最も身近なものということです。

クリシュナはアルジュナに言いました。

「あなたの中に悪魔がいるのではなく、あなたが悪魔です。あなた以外に神を妨げる悪魔はいないし、悪魔の力などもない。神より力強い2つ目の力もない。あなたがまさに天使と悪魔、それが願望です。その願望は、あなたにとても良く知られている何かです。」

人が不適切な行いをする時、欲求を止めるための必要な意志を持てないことを意味します。

欲求が強くなればなるほど、その欲求と自分自身の同一視があり、その無知により、知恵が沈黙させられ、カーマが、とても力強くなり得るのです。

願望は、ラジョーグナからのみ生まれますが、知恵は、サットヴァから生まれます。

ラジャスが優勢である時、願望があります。

それがなくてもOKなのに、それを追いかけさせる時、カーマは敵[ヴァイリー]となります。

そして、怒り[クローダ]は、単にカーマの次の段階です。

願望が妨げられ、それを満たすことが出来ないなら、それは怒りに変わるということを、アルジュナは、身をもって理解していました。

長い間、森でタパスをしてきたアルジュナに、父であるインドラ神は、天女ウールヴァシーという褒美を与えようと考えました。

天界に住む未婚の女性ウールヴァシーは、最も美しいアプサラーで、全男性の夢でした。

アルジュナは、既婚者でしたし、ウルヴァシーのことを母の様に思っていたので、彼女と関わることを望みませんでした。

ウルヴァシーは怒り、アルジュナが男らしさを失い無能な男になる呪いをかけましたが、インドラ神が仲裁に入り、その呪いの効果は、1年間だけで、そのタイミングも選べるように、呪いを軽くさせました。

アルジュナが身を隠さなければならない、13年目の最後の1年で、ブリハンナラーという名前で、お城の女性にダンスと音楽を教え、この呪いは祝福と変わりました。

ウルヴァシーの願望が、怒りに変わことをアルジュナは体験したのでした。

拒絶された愛には、足りていない想い[カーマ]があり、その人が愛しているにも関わらず攻撃的にすらなり得ます。

星や月、空などの自然に対する愛には「こうあって欲しい、こうあるべきでない」という要求はありません。

あるがままであることを、完全に受け入れ、あるがままを楽しみますから、問題はありません。

束縛のあるカーマは、最初に「願望」、次に「情熱」、そして「怒り」と呼ばれ、これらは全てラジョーグナから生まれます。

怒りとしてのカーマは、人生で、後悔する行いを招く原因となることから、大きな罪を犯す者[マハーパープマー]と言われました。

アートマーは、それとは何の関係もなく、体、考え、感覚器官も関係ありません。

無知ゆえに、不適切な行いを招くにしても、無知自体は、何の関係もないのです。

願望のみが、問題ですから、この趣旨のマントラすらあり、大人や子供にも、チャンティングされます。

「願望がそれを行いました。怒りがそれを行いました。ああ神よ、私の尊敬と感謝があります![カーモー‘カールシート マンニュラカールシート ナモー ナマハ]」

このマントラが、1年のある日に1008回繰り返されますが、これは単なる祈りではなく、「私は行っていない」というメッセージをほのめかしています。

知識があれば問題はありませんから、「カーマのみが、あなたの敵であると理解しなさい[ヴィッディ]」とクリシュナが言う理由です。

敵であるカーマは、適切ではないと知りながらも、その行いをするよう強いるのです。

「アダルマに駆り立てる、心に居座る誰かがいますが、私はそれが誰なのかを知りません。」と、ドゥルヨーダナは言い、アルジュナもそれを知りませんでした。

バガヴァーンは、それはカーマ以外の誰でもないことを、ここではっきりさせました。

◎飽くこと知らない願望

この詩で、カーマを描写するもう1つの言葉が、大食漢である人[マハーシャナハ]です。

「もう十分」と言わないのが、欲求の性質です。

どんな欲求も、更なる欲求によって置き換えられ、カーマの大食漢には終わりないと、クリシュナは言いました。

欲求を満たし続けるなら、欲求は無くなると思うことは、道理の通った考えではありません。

火のように、カーマは、「もう十分」とは言わず、もっと欲求し、それはただ繁殖し続けます。

私達が、いつも欲求を持つのは、この様な理由からです。