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ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章39番目の詩


आवृतं ज्ञानमेतेन ज्ञानिनो नित्यवैरिणा ।
āvṛtaṃ jñānametena jñānino nityavairiṇā |

कामरूपेण कौन्तेय दुष्पूरेणानलेन च ॥३.३९॥

kāmarūpeṇa kaunteya duṣpūreṇānalena ca ||3.39||

ああ、アルジュナよ。知識は、これ、すなわち、賢者の不断の敵である願望の飽く事を知らない火によって隠されます

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前の詩で示された知識「これ [idam]」は、欲望の姿をした敵によって[kāmarūpeṇa]隠されていると説明されています。

欲望は「火[anala]」に例えられます。

火に燃料をくべればくべるほど勢いが増すように、欲望も満たそうとすればするほど、より多くを要求し、決して「十分だ」と満足することがありません。

「これさえ手に入れば、あとは何もいらない」という「最後の願い」は存在しません。

5つの欲求を満たせば満たされる[pūrṇa]という保証はなく、一つを満たせばまた次の欲求が生まれます。

欲望そのものが持つ「決して満たされない」という性質を理解します。

◎全ての願望は、限りがあるという私たちの感覚から湧き起こる

欲望とは、私たちが自分自身を「不完全である、制限されている[apūrṇatva」と感じるセンスから生じる、絶えることのない源泉のようなものです。

どの欲望も、「今の自分は限られている」という感覚の表れです。

一つの願いが叶っても、心の奥底にある「制限からの自由」を求める衝動が、次々と新しい欲望を表面に湧き上がらせます。

シャンカラの解説に基づき、識別[vivekaの有無によって、欲望がどのように「敵」として認識されるかが異なります。

識別ある人[viveki]の欲望は、行動の「前」と「後」の両方で敵として認識されます。

「これは自分にとって良くない」と事前に知っていながら、欲望の強さに負けて行動してしまうため、常にその有害さを自覚しています。

ゆえに「永続する敵」です。

一方で、識別のない人[a-vivekī]の欲望は、行動の「後」にだけ敵として現れます。

欲している最中は「これは素晴らしい計画だ」と盲信しますが、失敗し、破産などの苦い結果[anartha]を得て初めて、自分の欲深さが敵であったと気づきます。

クリシュナは、不適切な行いに人々を駆り立てる正体がこの 欲望[kāma]であると明かしました。

知恵のある者ですら翻弄するこの「不断の敵」をどう扱うかを知ることこそが、アルジュナの問いに対する答えとなります。