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ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章09番目の詩⑧

2021/05/24

यज्ञार्थात्कर्मणोऽन्यत्र लोकोऽयं कर्मबन्धनः ।

तदर्थं कर्म कौन्तेय मुक्तसङ्गः समाचर ॥३.९॥

yajñārthātkarmaṇo'nyatra loko'yaṃ karmabandhanaḥ |

tadarthaṃ karma kaunteya muktasaṅgaḥ samācara ||3.9||

ヤッニャ目的の行い以外、その人はカルマによって束縛されます

カウンテーヤ、執着から離れ、その目的で行いをしなさい[9]

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行いの結果は、目に見えるもの[ドリシュタ]と、目に見えないもの[アドリシュタ]があります。

見える結果は、この人生そのもので、直接関わり体験することができます。

同じ行いでも、目に見えない結果もあります。

プットラカーメーシュティという、息子を授かる為に行われる儀式は、それがどの様に起こるかは分かりませんが、息子を授かるという結果は体験されます。

儀式と結果の関係性が見えない時、その結果はアドリシュタと呼ばれます。

行いは、行い手がいることが前提で行い手に結果をもたらし、行い手は、行いによって常に動かされ、サムサーリーとしてそこに存在します。

居心地の良い状況という良い結果も「私」に集約される、限られているという感覚から人を完全に変えるものではありません。

単に社会で権力のある人になることで「私」に集約される、限られているという感覚から人を完全に変えるものではありません。

真実と真実でないものを見極めた人にとって良い結果でさえ、足かせになります。

プンニャという良い結果でさえ、金の足かせになるのです。

足かせが、金でも鉄でも、足かせであることには代わりありません。

識別を持つ人は、プンニャもパーパも束縛で、生死のサイクル[サムサーラ]が続く原因になることを知っています。