2021/05/31
यज्ञार्थात्कर्मणोऽन्यत्र लोकोऽयं कर्मबन्धनः ।
तदर्थं कर्म कौन्तेय मुक्तसङ्गः समाचर ॥३.९॥
yajñārthātkarmaṇo'nyatra loko'yaṃ karmabandhanaḥ |
tadarthaṃ karma kaunteya muktasaṅgaḥ samācara ||3.9||
ヤッニャ目的の行い以外、その人はカルマによって束縛されます
カウンテーヤ、執着から離れ、その目的で行いをしなさい[9]
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識別を持つ人はプンニャもパーパも両方とも束縛になり、サムサーラが続いていく原因になることを知っています。
カルマはサムサーラの原因ではなく、カルマはそれを終わりの無い物にしているのです。
既にサムサーラはあるので、その原因である必要はないのです。
カルマは、サムサーラを終わり無い物にするものなのに「どうして、カルマをすべきなのか?」というのが、アルジュナは疑問なのです。
ヤッニャ以外の目的でカルマがなされるならば、カルマは束縛が続く原因[バンダヘートゥ]になることを、この詩でクリシュナも認めています。
ここでヤッニャは、儀式そのものではなく、儀式がイーシュワラのために為されます。
シュルティはヤッニャを偏在する者[ヴィシュヌ]と言い、ヤッニャが神であることを明らかにしています。
同様に4章24節で、全てがブランマン、神として見なされます。
儀式を行う人、それが行われる場所、奉納する物、マントラも、お供え物を捧げる為のスプーンも全て神で、儀式で還ってくる結果も神です。
つまり何も得るものはないということです。
全てがブランマンに属しているので、全てがブランマンなのです。